モルニー爵夫人の肖

きょうは雨が降った。
二葉亭餓鬼録

きょうは、絵を描くヒマもなく、廃材を使って、ヨーコから頼まれていた筆を吊る道具をまたひとつ、こしらえた。廃材とはいっても、板は新品だ。できあがった板に砥()の粉を塗ってラッカーか何か塗って仕上げたいのだけれど、そういうものがなくて、どうしようと考えていたら、おなじマンションの奥さまが通りかかり、ぼくの手元をのぞき込んで、

「あら、何かしら?」といった。

ぼくは、明るいマンションの駐車場の真ん中で仕事をしていた。

ほんとうは、釘など打たずに、四隅を糊付けして、額縁みたいに仕上げると格好いいのだけれど、あいにくと、そういう技量も持ち合せていなくて、不細工にも、釘を打ちこんでいた。

釘ならいくらでもあり、板材の厚みは3センチもあって、そこに5寸釘を打ち込んでいた。――仕上げカンナがあればいいなあ……、と思う。板の切り口をカンナがけしてみたくなる。

むかし北海道・北竜町のやわらで、父がやっていた額縁づくりを思い出す。冬のヒマなときに、父はいくつも額縁をつくっていた。

「そんなに額縁ばかりつくって、どうするの?」ときくと、

「近所の人に贈るんだ」と父はいっていた。
二葉亭餓鬼録

何を贈るのかというと、父の描いた絵だ。

父の描いた絵を少しでもりっぱに見せようとして、額縁づくりに余念がないのである。――まあ、そんなことを思い出した。

「はははっ、……自分でも、何をつくっているのか、わからないんですよ。何だか、わかりますか?」ときいてみた。

「何か、ここに、引っ掛けるものですね?」と奥さまはいった。

「そうです。ここにあるフックに、ヨーコが筆をぶら下げるんですよ。こういうものがあると便利だというものでね、つくってみました。ぼくの、かみさんは、絵じゃなくて、書をやるので、毛筆をぶら下げたいそうです」

「だんなさんは、おじょうずよ。……手作りっていいわよね」という。うまくできないので、そう褒められると、どこか、こそばい。

「かたちはへんですが、収まりはいいみたいです」といって、地面に立ててみた。座りはいい。

「筆って、ヒモがあったかしら?」と奥さまはいっている。

「絵筆には、ヒモはありませんけど、毛筆には、ちゃんとヒモがついているんですよ。うちには、ヒモありと、ヒモなしの筆があります」

「へぇぇ、そうだったかしら?」といっている。

奥さまの子供が学校から帰ってきた。きょうは土曜日で、下校は早い。

「おじさん、それ何?」と坊やはたずねる。

「なんだと、思う?」

「うーん、宇宙船?」と坊やはいっている。

 ははははっ、宇宙船か。

「……坊や、氷が解けたら、何になる?」ときいた。

「うーん、お酒になる」と答えた。ははははっ、……お父さんのオンザロックを見ていたらしい。

「この子ったら、お酒飲んだのよ」という。「父親に似たら、困るわ」という。「のんべいだもの。じつは、わたしもそうだけど、……」といっている。そして、「だんなさん、いいこと思い出しましたわ。きいていいかしら?」と奥さまがいう。

「はい、何でしょう?」

「椅子の脚が、こわれちゃったのよ。そういうの、直していただけると、すっごく感謝いたします」という。

「椅子くらい、直せると思いますよ。持ってきてください」というと、奥さまは気色を浮かべてマンションに戻っていった。そし持ってきたのは、4本脚の1本の脚が、付け根から折れているやつだった。

ははーん、これは直せないな、と思った。

3センチの角材をあててみたが、「これじゃ、大手術をした脚みいに見える」といった。――椅子の脚で思い出した。むかし、イギリスでは椅子の脚にも何か履かせた。ヴィクトリア朝時代のことである。女性は脚なんか、人さまにはけっして見せない。足首まで隠れるスカートを履いた。つつしみ深さをあらわすために、ピアノの脚にも覆いをしていた。卑猥な連想をするからだという。そういう当人のほうが、よっぽど卑猥なのだろう。さいわい日本では、椅子の脚なんかに、だれもうっとりすることはない。

「それでもいいです。この椅子、ベランダの漬物を覆っていた椅子なんです。人に見られるわけじゃありませんから。……そこに物をちょこんと乗っけて、こういう椅子でも意外と便利なんですよ」という。

ヨーコとおなじことをいうと思った。

「じゃあ、これでもよかったら、この分厚い板を張り付けていいですか?」

「お願いします」と彼女はいった。

ほんとうは、こういう仕事はやりたくない。不細工きわまりないし、きっと奥さまは満足していないに決まっている。奥さまからいい出したので、あとで引っ込みがつかなくなったのかもしれない。

「これじゃ、申し訳ないので、このバーを差し上げますよ」といった。

金属でできたバーで、納戸にこれを取り付けると、ハンガーを引っ掛けることができて便利だ。うちもそうしている。納戸は、たたみ1畳くらいの狭いスペースなのだが、あればあったで、案外重宝している。ここには傘とか脚立とか、こまごまとした物を置き、上のバーには、コートのハンガー類を引っ掛けている。急な雨の日には便利だ。

「バーを取り付ける金具は、あとで買ってきますよ」といった。3本買って2本しか使っていない。あまった1本を、奥さまに提供することになった。じつは、奥さまにはいわなかったけれど、このバーを捨てようとしていた。

「奥さまの納戸に合うかどうか、測ってもいいですか?」

「もちろん、いいですよ。……いま、来られますか?」

「いま、行きます」といって、坊やといっしょに3人で3階の奥さまの部屋に行った。

玄関を入ると、すぐそばに納戸がある。

左右の長さを合わせてみた。両壁にぴったり収まる。それから奥さまは、ぼくをリビングルームに招き入れた。

「ほう、絵ですね。……」といった。

「わたしがむかし、絵を描いておりまして、……。みんなむかしの絵ですけれど、……」という。素人の描く絵には見えない。

「奥さまは、画家ですか?」

「いいえ、……でも、むかしは画家を目指したことがありますけど。……」という。

「そうでしょうね。……」

20号くらいから30号くらいの油彩画が、額装されて、5つほど壁に並んでいる。なかに、外国人女性の肖像画がある。

「この絵は?」

「これは、むかしと描いたものです」

いままで見たどの画家の画風とも違う。マネの描き方に似ているなと思った。ぼくはしばし見とれて突っ立っていた。

「この絵はどういう、……」

「これは、ナポレオン三世の時代に、鉄道や鉄鋼で巨万の富を手に入れたモルニー侯爵という人の夫人です。写真を見てかしら、描きました」という。

モルニー夫人? 侯爵夫人? ――きれいな女性だ。

パールネックレスを2重巻きにして、ヘアは淡いブラウン。とても品よくまとめている。ぼくは油彩画のことは知らないけれど、よく訓練され、描きなれた絵のように見える。

「わたし、むかしは、絵の学校へ行っておりました」という。

「そりゃあ、よかったですね。じつは、ぼくも絵を描きはじめたばかりでして、……水彩画ですけど」

「まあ、それでしたら、話は合いそうね。……よろしかったら、コーヒーでもいかが?」という。

「嬉しいですね。ヨーコに黙って、いただきます」

「あら、ヨーコさまに報告なさるの?」

「いいえ、そういうことは、いたしませんけれど」

「このあいだ、ヨーコさまと街で会いました」

「ほう、どこで?」

「駅の商店街のおトイレで。――お買い物の荷物が、とっても重そうだったのを覚えています」

「ヨーコは、寒いと、トイレが近いんですよ」と余計なことをいってしまった。

「あら、わたしもそうよ。わたし40だけど、……」という。

「――ということは、20年前、奥さまは、絵の学校へ通っておられたわけですね?」

「そうです。浦和高校を出て、ストレートに芸大へ合格しちゃったのよ」という。「でも、才能がないことがわかったから、結婚しました、ははははっ、……。というより、長男が生まれそうなので、結婚したわけなの」という。しょうじきな奥さまだ。

「ご長男は?」

「独協大学に通っています」という。

「モルニー夫人ですか、いい絵ですね。見れば見るほど、すてきです。ナポレオン三世の時代ですか。そのころのパリは、ユゴーの《パリのノートルダム》にも書かれていますが、セーヌ河もきれいじゃなくて、ネコの死体が浮かんでいるような汚い河だったそうですね」というと、奥さまの顔がきゅうにゆがんだ。

ああ、いわなければよかった。

「シュークリーム、食べますか? 褒められると、嬉しいわよ。……でも、ネコの死体の話はしないでね」といわれてしまった。

ほう、シュークリームか、と思った。

きのうからシュークリームばかり食べている。7階の男性から、きのうシュークリームをいただいた。その寸前に、ぼくはイトーヨーカドーのコージコーナーで、ヨーコのためにシュークリームを6つ買ってきた。この話はいわなかった。雨があがったので、ぼくは自転車でビバホームに走らせた。バーを固定する金具を2個買い、針金の束を1個買った。

その足で図書館に向かい、本を返して、また借りてきた。

モルニー夫人というのは、どういう女性なのだろうと思ったが、あいにくと図書館には彼女の資料はなかった。ところが、途中で思い出した。大仏次郎の「パリ燃ゆ」にはナポレオン三世の時代の話がつづられていることを。

案の定モルニー夫人の肖像画が載っていた。もちろん写真ではなく、絵だったが、やはり美しい。モルニーというのはナポレオン三世の異父弟で、侯爵モルニーは三世を軽く見ていたが、彼の事業がうまくいくと、すすんで良き相棒となり、金と享楽を強欲に追及する成り上がり者として描かれていた。ナポレオン三世は46歳。彼は28歳で、三世は美しいスペイン娘と結婚し、皇后とした。モルニーが結婚した相手は、それにもまして輝くようなロシア人で、ロシアへ行ったとき、18歳の貴族の娘を見つけて結婚した。

繁栄には享楽がともなう。彼は若くしてフランスの鉄鋼王と呼ばれるようになり、持てる財力で海水浴場をつくったり、競馬をさかんにしたりして、皇帝以上の実質的な収入を得た。産業革命でパリの街は急速に発展し、「花のパリ」と呼ばれるようになる。1806年のパリ郊外の人工は、1万3000人だったが、1856年には35万人にふくれあがったと書かれている。

大仏次郎という作家は、こういう話を得意とする。いちど読んでいるはずなのに、すっかり忘れている。図書館から借りてきた本をそっちのけにして、「パリ燃ゆ」を読みはじめた。