Oh Marieマリー

ひとみ)閉じて、……1

ある青年への手紙。――



Oh Marieマリー)瞳(ひとみ)閉じて 覚えているかい あのころを

傷ついても

おれを信じてくれた

なけなしの愛で 夢を買ったよ

おまえだけが ささえてくれた

もう迷いはしないぜ いつまでもおまえだけを

この腕ひろげて 守りたいのさ 抱きしめてあげよう

Oh Marie Thank You for My Angel

おまえに会えてよかったぜ

やさしいこの人 すべて出会いのままさ

たとえこの街 消えうせても

心はひとつ 変わらぬふたり



この「Jのバラード」をはじめて聴いたときのショックは忘れられません。この歌の文句が、ぼくらの出来事を予言していたかのように思い出されます。――ロック・シーンの頂点に立つハウンド・ドッグの栄光への熱い道のり。それを歌いあげる大友康平です。


ぼくは、Kaoriを抱いて、

Oh Marie Thank You for My Angel」と叫んでいたのかも知れません。

人生って、すばらしい。人生って悲しい。人生って、輝くマリーのように、人生のオープニングにふさわしく、とつぜん登場してくれるものですね。


ぼくには、《やぶれて英雄になる》というイタリアの諺が、妙にこころに残っています。イタリアに3度行き、イタリア語を勉強するなかで見つけたことばです。

昨年ぼくは、ひとりの旧友に当てて手紙を書きました。久しぶりだったので、書き終わってみれば、原稿用紙に換算しておよそ1100枚にもなりました。A4判サイズのコピー用紙で300ページ。40年ぶりの手紙でした。製本をして送りました。

その彼は、北海道・北竜町字碧水の川田浩二さんという、ぼくの中学校時代で同級生です。川田浩二さんは、優秀で、生徒会長をしていました。ぼくは落ちこぼれの生徒で、字がじょうずだという理由で、出欠簿の記録とか、後ろの黒板にいろいろ何か書かされていました。

題して「やぶれて英雄になる」という文章です。

ぼくの飾らない、ほんとうの自分を描いたつもりです。

Iさんのお便りの文面にもあるように、若いころにはだれでも感じる、一種、焦燥感というのでしょうか、居心地のわるい焦りみたいなものを自分の将来に感じながら過ごしたようです。

ぼくもそうでした。

三木清という哲学者も、森鴎外という小説家も、長谷川如是閑というジャーナリストも、ベートーヴェンもダンテもマキャヴェッリも、宗教家の聖フランチェスコも、あの釈迦でさえも、みんな若いころには迷っています。

人間としてできあがった者(職人)たちから見て、若者として、まだ幼い素朴な考えをみると、否定してしまいます。それはなぜでしょう。

そして人は、生きて戦うための知恵のみを学び、磨きたがりますよね。


さて、自分の将来像となりますと、なかなか決めかねないのがふつうじゃないでしょうか。ぼくの将来を決するような生業(なりわい)など、自分じゃわからないからです。というよりも、自分が自分のことを知ることができない。自分というのは、いったい何者なのか、自分の生涯をかけて貫く仕事を想像するって、銀河系宇宙を旅するようなものでしょうね。想像もできない、というのがふつうでしょう。

マキャヴェッリがいい例です。

彼が将来「君主論」などを書くなどということは、想像だにしていませんでした。

彼は、フィレンツェ政府の一介の行政書記官に過ぎませんでした。それが大失態を演じて、投獄されたのが機縁となり、膨大な著作に専念し、あの「君主論」に代表される著作を書くことができたわけです。

やぶれて英雄になるというのは、そのマキャヴェッリその人を指していうことばでしょうね。

ついでですが、この「やぶれる」というのは、たいへん貴重な体験になるわけで、やぶれたことのない人、失意に打ちのめされたことのない人には、想像もできないことでしょうね。でも、人はやぶれて境涯が変わり、すばらしい機縁を生むというのは、どうもほんとうのようです。

このぼく自身が、失敗してはじめて知った、まことにすばらしい体験をしました。もとよりビジネスには、この「失敗」と「成功」がついてまわります。

「失敗」と「成功」は表裏一体をなしているからでしょうね。成功するということは、じつは同時に、失敗することを意味します。両刃の剣です。――この話は、「ピュタゴラスの失敗」という文章に書きました。興味がありましたらお見せします。あのピュタゴラスが、「ピュタゴラスの定理」において失敗していたことが証明されたからです。

1994年のことです。

しかし人生には「失敗」も「成功」もありません。

松下幸之助さんはりっぱなビジネスマンでしたし、ビジネスの成功モデルとして、たいへん有名です。

ちょうどいま、松下幸之助さんを主人公にしたテレビドラマをやっていますね(NHK)。松下幸之助さんは、ビジネス界では大成功なさった巨人です。

しかし、人間として、男として、夫として、家族として、兄弟として、親として、子として、友人として、納税者として、はたしてどうだったのでしょうか。何かに成功するということは、同時に何かに失敗しつづけることになります。10万人の社員の頂点に立って巨大な企業の舵取りを行なう人は、同時に、夫としても満足な人であり得るという保証は、どこにもありません。

家族係累というネットワーク社会にあって、だれに対してもベストでのぞむことのできた人間など、どこにもいません。

成功に執着すれば執着するほど、失敗のアナに落ちていくばかりです。

しかし、人生には失敗も成功もない。

自分の持っている力を100パーセント発揮してやれたのなら、強いていえばそれは成功といえるのかもしれません。そういう尺度で云々されるべき性質のものでしょう。ビジネスの成功者がかならずしも人生の成功者とはいえないケースが、あまりにも多いのです。


ダ・ヴィンチとマキャヴェッリがつるんで、人生最大の失態を演じていることはよく知られている話なんですが、マキャヴェッリは逮捕監禁され、ダ・ヴィンチは5年間もままならない暮らしに追い込まれます。

借金があるなどという生易しいものじゃなかったようです。自分の持てる力のほとんどを失ったと思っていました。

ですから、彼らは偉大な仕事ができたわけです。つまり、ありあまるほどの時間が、ある日とつぜん、ポッとできてしまったということです。おかげで、後世に残る傑作がつくられます。

ダ・ヴィンチは人体解剖図や機械工作図をつくり、近代医学に貢献し、マキャヴェッリのほうは「君主論」やさまざまな論文を書きました。ダ・ヴィンチのほうは、もともと土木工学師でした。


「男子三日会わざれば剋目(かつもく)して待つべし」ということばが「三国志」のなかに出てきます。3日も会わないでいると、それぞれの相手がずいぶん変わってしまっているから、剋目せよ、というわけでしょう。おもしろい表現です。

ぼくはその旧友と会わなくなって、いったいどのくらいたつでしょうか。それはそれはお互いに大きく変わっているだろうなと思います。

このぼく自身も変わってしまいました。自分でもわかります。冒頭に申し上げたように、イタリア語を勉強して、イタリア、とくにヴェネツィアに住んでみたいなんて! 自分でも驚いています。

「やめとけ!」といって忠告してくださる人もいますが、ぼくは、39歳のときに、ガンを患い、いちどは拾ったいのちだと思っていて、怖いとはちっとも思わなくなりました。

それ以来、ぼくは母親の血筋を引いてしまったのか、大胆さがおもてに飛び出してきた感じです。今回のダイナミックな事業失敗といい、現在、ぼくの個人的な借金は額にして億を超えました。

 つまらない話なので止めますが、ぼくは、人生はなかなかおもしろいと思っています。何があるかわからない。マキャヴェッリだって、逮捕監禁されてこそ、いい仕事ができたのですから、人はやぶれて英雄になる。――まさしくそう思いますね。


ぼくのガンは、第10胸椎、――みぞおちの真後ろに、3つのガンができました。

入院先で考えていたことといえば、小説を書くことでした。かりに5年生きられるとすれば、小説の1編ぐらいは書けるかもしれない、そう思っていました。――この体験をもとにして書いた小説「ひまわり」は、なつかしいです。


最初に入院した北大病院は、ぞっとしないものでした。

入れられた病棟が、いわゆる《ガン病棟》だったからです。ソルジェニーツィンの「ガン病棟」そのものです。自分がガンであることを知ってはいても、いざそこに押し込められると、嫌な感じです。

周囲の患者たちを見ると、みんなガンをわずらい、薬の副作用で男も女も髪の毛が抜け落ち、クリスマスの夜に、なぜか病室に蝋燭を点(とも)して、クリスマスケーキなんかをトレーに入れ、ひとりひとりのベッドに看護師さんが持ってきます。

「お変わりありませんか?」といって、カーテンを開けます。

何を話したものか、わかりません。

入院は4ヶ月、リハビリに半年、その年は療養に専念しました。

で、コルセットをしたまま、ぼくは小説原稿を書きました。このコルセットというのが辛いんです。背骨・腰骨を保護するわけですから、きつく締めつけます。靴紐をむすぶのも自分じゃできないんです。

それに、おしっこはできるのですが、便のほうの後始末には閉口します。コルセットが脇下に食い込んでいて、手がお尻にとどかず、人の世話にならなければならないんです。

家では妻に、教会ではその学生さんにやってもらうしかありませんでした。彼女は看護師のたまごでしたから、平気でした。年令もずっと離れていたせいかも知れません。

 ぼくはいろんな本を読みました。

 そんななかで、忘れられないのは、忍足欣四郎さんの書いた「英和辞典うらおもて」(岩波新書)という本です。オクスフォード英語辞典(全20巻)の話が出てきます。ぼくは母校の大学の図書館で、じっさいに読んでみたことがあります。小説もいいけれど、なんだかやるべきことがまだ山ほどあるような気がしたものです。死んでいるヒマなんてないくらい、急に忙しい気分になりました。それは英文学への、跳ね除けることのできない魅力でした。