クマゲラの音が聞こえる。2
「あの先生、チューブの専門家だっていってたから、だいじょうぶみたいね」と、見佳がいった。
「チューブの専門家か! まあ、入江先生におまかせしよう」と、田原はいってたばこを吸殻入れに投げ入れた。
ユキ子は、事故にあってから、きょうでちょうど1週間眠りつづけた。
ユキ子はながいあいだベッドに寝ていたせいか、それとも骨盤が複雑骨折しているためか、しきりに腰を痛がった。
田原は田島看護師から、ユキ子の意識がもどったことを知らされたが、田原が声をかけると、ユキ子は少し目を開いて、それからまた眠った。
「ユキ子、わかる? お父さんだよ」と、きいてみた。
「わかる」と、目をつぶったままいった。
「ほんとに、わかるの?」と、ふたたびきいた。
「わかるよ」といった。
「お母さん、ほんとにわかってるのかなあ。……」と、見佳がいうと、
「いいかげんにしてよ」と、ユキ子はいった。
小さな声だったけれど、まぎれもないふだんのユキ子の声だった。
その声をきいて、見佳はくすくす笑った。田原も笑った。
「いいかげんにしてよ」ということばは、確かにいつものユキ子にもどっている感じだった。
「見佳だよ。お母さん、わかる?」という声に、ユキ子は目を開けて見佳のほうを見た。
「だれ、この人」と、田原の顔を見ていった。
「見佳だよ」と、見佳がいった。
「ミカ?」
「見佳だよ。わたし、見佳」と、見佳が自分を指さしていうと、しばらくたってから、「見佳は、幼稚園にいってる。こんな人、しらない」といった。
「わたし、見佳だよ、お母さん!」
「お父さん、この人、だれ? 見佳は幼稚園にいってる。こんな人、しらない!」といって、怒ったように目をつぶった。田島看護師がそばで聞いていて、「もうしばらく、このままにしておきましょうね」といった。
「幼稚園にいっているころの見佳を思い出しているんだね。――そういうことって、あるんですか?」と、田原は田島看護師にきいた。
「珍しくありませんよ」
「ユキ子、おれ、わかる?」といって、田原はユキ子の顔を覗きこんで、ユキ子の手を取ってきいた。ユキ子は顔をそむけるように、横をむいてしまった。
そして、しばらくして、「お父さん、見佳をつれてきて、……」といった。
見佳は母親の顔を見て、それから田原のほうを見て、手まねきをした。カーテンの外にでて、「お母さん、おかしい」といった。
「見佳は、大きくなって、いま、ここにいるのが見佳だよ」と、田原がいうと、
「ウソよ。ウソいってどうするの。見佳は、まだ小さいのよ。幼稚園にいってるでしょ。いいかげんにしてください」といった。
田原は見佳のほうを見て、手まねきをしてベッドサイドをはなれた。
「お母さん、まだ完全にもどってないようだな。見佳、だいじょうぶだから、あせらず、気ながに待とう?」といった。
悲しい、と見佳がいった。
見佳は目から大粒の涙を落としていた。「わたしのこと、だれだと思ってるのかしら。悲しいわ、こんなの……」といって泣いた。
田原は、ベッドサイドのほうへもどって、はだけた毛布をかけていたら、
「交通事故? わたしが?」といって、田原の顔をしげしげながめた。
「お父さんも、事故にあったの?」
「いいや、おれは、あわないよ。ユキ子だけ事故にあったんだよ」と、田原はいった。
「どこで?」
「家のまえの、国道で」ユキ子には、それがわからないようだった。
「見佳、幼稚園から帰ってきた?」と、きいた。
「うん、帰ってきたよ。安心して眠りなさい」と、田原はいった。
田島看護師がやってきて、
「お話できるようになって、ユキ子さん、よかったですねえ」といった。
お熱はかりましょうね、といって、ベッドの毛布をめくった。
体温計を取りだして、ユキ子の脇下に入れると、
「わたしは、熱なんか、ありません」といった。
「そうだわね。お熱はないわよね」といって、田島看護師はユキ子の会話に合わせた。そして、田島看護師がいってしまうと、
「お父さん、わたし、どうしたらいい? お腹の子、堕(お)ろす? それとも産んだほうがいい?」ときいた。
田原はぎょっとした。
「お父さんがきめてね」ともいった。
そばにいた見佳は、「えっ!」というような顔をしてこっちを見た。
「ねぇ、お母さん、いまなんていったの?」と、見佳はいった。
「堕ろすんだったら、先生にいってきて。……中田先生です。ねえ、お父さん」
「わかった」
「ねえ、はやく! ついでに、ひまわりのタネ買ってきて」
「わかった。先生にいってくるからね。眠りなさい。――ひまわりだって?」
ユキ子の記憶は、まちがいなく見佳が幼稚園にいっているころに戻ってしまっている。そういえば、あのころ妊娠していたことを田原は思い出した。3人めは堕している。
その記憶がユキ子を支配しているのだろうか。
ふだん思い出しもしない過去の現実感が、甦ってくる。
才走った作家の想像力を、はるかに超えるものだろう。
その日はそれからユキ子は静かに眠り、翌朝まで起きなかった。結婚してからすごした2年間のロンドン時代。いちどだけ流産した経験がユキ子にはあったけれど、そのときの記憶ではない。
「子どもは、またつくれるそうだよ」
「だったら、よかった。今年はムリよね」と、ユキ子はいった。
恐れていた事態が発生したのは、12月のなかばごろだった。
ユキ子のおかしな記憶がますますおかしくなり、意味のわからないことを口走った。田原の顔もわからなくなっているらしかった。
「母さんは、こないの。連れてきて!」といった。
彼女の母親はすでに死んでいる。検査の結果、頭に水がでていて、脳圧が高くなっていることが認められた。
手術は、24日のクリスマス聖夜の朝9時からおこなうことになった。
その前夜、田原はふたたび2階の自室に引きこもり、ラフマニノフの「第2番」を聴いた。
――父さん、ぼくは今、札幌いるんだ。
ユキ子が交通事故に遭って、大ケガをして入院したんだ。
記憶がまだもどらないんだよ。だれか、ぼくたちの脚を引っ張るやつがいるんだ。父さんがぼくを売り飛ばしたとき、ナターシャが駅まで見送りにきてくれたよ。父さんも母さんも、病気で寝たきりになったしね。
それで、しかたなくぼくを売り飛ばしたんだよね?
父さんはお国のために戦争にいって、銃弾を骨盤にめりこませ、それが原因で父さんのからだがめちゃめちゃになったんだね。
しかたなかったんだよね。
ある夏休みの朝、北竜のペンケの森でラジオ体操をした。
近所の小学生は全員、お寺の境内にあつまり、6年生のいうことをきいて、体操していた。
出席するとカードに赤いハンコを押してくれた。いつも「お姉さん」と呼んでいるロシア娘のナターシャも、いっしょについてきて体操していた。あのころはおおらかな時代だった。彼女が17、8くらいのときである。
体操が終わって帰ろうとしたときだった。
やわらの街のほうから飛行機が飛んできた。低空飛行で屋根のうえすれすれに、轟音とともに大きな機体の腹を見せて姿をあらわし、静かな朝の空気をゆさぶった。
見ていると、機体のお尻から白いひらひらするものを吐き出しているのが見えた。それは帯のように浮かんでいて、やがて空のうえで散り散りになっていくのが見えた。朝日にあたってきらきらしていた。
飛行機は街道にそって、西のほうへ飛んでいった。
お寺の境内にいた仲間たちが走りだした。
それを見ていっしょに走ろうとしたとき、仲間のひとりが飛行機めがけて境内の砂をパッと投げた。それが運わるく、風下にいた田原の目に入った。
「お姉さん、目がいたい!」
といって、田原は目を押さえながらお姉さんのほうに駆け寄った。
お姉さんは「どうしたの?」といって、田原を抱えこむようにしてから、「見せて!」といった。
彼女は田原の目のなかをのぞきこんだ。
目のなかが赤くなっていたと思う。
「はやく取って! お姉さん」といって、田原は叫んだ。お姉さんは、袂(たもと)からさらしのような手ぬぐいを取りだして、はしを口のなかでぬらし、目の縁をぬぐった。
「いたいよ、お姉さん。はやく取ってよ!」
「黙ってて! 動いちゃダメじゃない」といって、おなじようにくりかえした。砂は取れなかった。
「おっぱいで取ってよ! お母さんみたいに……」と、田原はいった。