北海道のある女性へのレター。

レガート?それともノン・レガート奏法?

 こんばんは。
二葉亭餓鬼録

 きょう土曜日は勤務をお休みして、妻ヨーコとひさしぶりにコンサートに出かけました。コンサートといっても、草加の文化会館で催されるピアノコンサートで、ときどきこのような催しが行なわれています。

 きょうは天気がよくて、心地よいうららかな日差しを浴びて、自転車に乗って、コスモスやキンモクセイの香りが放つ風景のなかをくぐり抜けて、会場へと向かいました。


 演目は、ベートーヴェンのピアノソナタなどです。

 いいなあと思って聴き入りました。

 ぼくはいつだって、音楽を聴きながら、北海道の風景を思い出します。Yさんのお便りを読ませていただいているおかけで、さいきんは、いろいろと、北海道の北竜町のことなども思い出すようになりました。

 ぼくはピアノ曲がことのほか好きなので、ヨーコはあらかじめ、きょうの演目などを調べてきて、ぼくに教えてくれます。

「お父さん、きょうはお仕事、休んでくださいね」といわれていました。

 ぼくの休日のほとんどは、ヨーコが決めてしまいます。妻の組んだ予定のとおりに行動しています。ヨーコは格別クラシック音楽が好きというほどのことはないのですが、ぼくが好きなことを承知しているので、いろいろと予定を立ててくれます。

「お父さん? 明治大学は、今年、創立何周年? 知ってますか?」と、いきなり尋ねます。

 そんなこと、ぼくは知るはずもありません。

「ほう、何周年なの?」ときくと、

「これ見て。……きょうの新聞に大きく、明治大学の広告が載ってますよ」といいます。ぼくの母校です。創立130周年と書かれています。こういうことも、ヨーコが教えてくれます。

 うちのヨーコは、新聞を隅から隅までちゃんと読みます。いま購読している新聞は、読売、毎日、日刊スポーツの3紙ですが、ヨーコは午前3時ごろに起きて、かならず新聞を読みます。それが日課になっていて、それがすんだら、お経を唱えます。

 ぼくはヨーコの切り抜いた記事を読むだけなんです。それがけっこう楽しいんですよ。


「さあ、行きましょう」といって、ヨーコはコンサートにぼくを連れ出します。

彼女は、夫を連れ出して、どこかに出かけることが大好きで、この日を待ちわびていたかのように嬉しそうに出かけます。

 ベートーヴェンのピアノ曲は、いつ聴いてもいいですね。名前の知らない日本人女性のピアニストの演奏を聴いて、ぼくはまたひとつ、イメージをふくらませます。

演目がベートーヴェンでなくても、演奏家は、楽譜のとおりに弾くことはできるでしょうが、だれひとりとして、そっくりというわけにはいかないのが、おもしろいところですね。おなじ譜面を見て弾いているというのに、こうも違うということが、とてもおもしろいと思っています。

 世の中に、コンサート・ピアニストと呼ばれる演奏家は、どのくらいいるのでしょうか?

数えきれないほどいるでしょうね。これといって特徴のない平凡なピアニストから、譜面どおりに美しく弾ける人、そうでない人、いろいろでしょうね。

 星の数ほどいるピアニストのなかから、ある日、とつぜん彗星のようにあらわれる音楽家もいるでしょうね。どんなに才能があり、テクニックがあっても、最後には「幸運」という魔物に巡り合わないことには、道が開けない。そういうことがけっこうあると思います。

 名前は忘れましたが、あるピアニストのコンサート公演が、本人の急病のため、急きょ別の人間にとって変わるという「幸運」の道が用意されることがいろいろあるようです。

 ホロヴィッツという大ピアニストといえども、もちろん最初は無名でした。彼はハンブルクで、急病になった女性ピアニストの代役として、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を、リハーサルもなく、いきなりぶっつけ本番で演奏し、聴衆を狂喜に沸かせました。

 ホロヴィッツと双璧をなすライバルだったリヒテルもそうですし、あのルービンシュタインもそうでした。

 指揮者では、ブルーノ・ワルターというニューヨーク・フィルの大指揮者が急病になって、無名だった若きレナード・バーンスタインが、ピンチヒッターとして登場し、一躍脚光を浴びるようになりましたね。

 音楽の世界にも、「幸運」に恵まれるということが、将来を決することになるわけで、きょう聴いたピアノも、ぼくには、ほとんど驚きのないものでしたが、それだって分りません。

 いつ彼女が、本格的なデビューをするか、それはだれにも分りませんね。

若き日のフジコ・ヘミングさんも、レナード・バーンスタインにいきなり認められて、鮮烈なデビューを果たしましたが、耳の病気で、しまいには難民みたいな暮らしを強いられ、ようやっと日本でのコンサートができるようになりましたね。

 レナード・バーンスタインは、演奏を終えたステージの上で、あまりのすばらしさに、彼女を抱きしめ、長いキスをしました。まるで恋人に接吻するみたいに、はげしい祝福のキスをしたと彼女は証言しています。

 

 それから、もっと驚くべき物語があります。

 それはポーランドのピアニストで、ヤン・パデレフスキーというピアニストなんですが、彼は、もっとすごいデビューを果たしました。といっても、ヤン・パデレフスキーが本格的にピアノのレッスンをやるようになったのは22歳のときです。幼いころからピアノをいじっていて、音楽教育も受けているのに、平々凡々たるもので、使い物になりませんでした。そういうわけで、22歳にして、はじめからピアノをやり直したわけです。驚くべき遅咲きのピアニストだったわけですが、その彼は、世界中の、とんでもないスーパースターになるわけで、ピアニストとしての彼の名声は、20世紀最大といわれています。現在のコンサート・ピアニストの祖師といっていいでしょうね。

 その彼は、ポーランドの初代首相となりました。もともと彼は外交官でした。



 それとは別に、日本のピアノ教育は、ヨーロッパにくらべて100年遅れていました。

こんなことをいうと、叱られそうですが、日本のピアノ教育は、「ノン・レガート」奏法に徹していましたから、海外に行くと、だーれも認めてくれません。

 ヨーロッパの音楽はすべてレガート奏法です。

 久野久という日本のピアノ教育の第一人者といえども、ヨーロッパでは使い物にならなくて、それを苦にして、彼女はヨーロッパで自殺してしまいました。

 ピアニストの中村紘子さんは、18歳で、ニューヨークのジュリアード音楽院に留学しましたが、最初からやり直しを命じられています。彼女は自信たっぷりに留学しましたが、ぜんぜん使い物になりませんでしたね。

 さて、どこがどう違うのでしょうか?

 中村紘子さんは、このレガート奏法――「なめらかに美しいベルベットのようなレガート・タッチ」を要求されたわけです。ノン・レガートというのは、タイプライターをたたくみたいに、カタカタとハイ・フィンガー(指を立てる)で弾く奏法で、これはダメ、ということでした。つまり、指をキーからぜったいに放してはならないという弾き方を教えこまれたわけです。いまでは、世界の中村紘子さんになっていて、ぼくも大ファンですが、チャイコフスキー・コンクールの審査員も務めていますね。



 それまでの日本人は、あくまで楽譜どおりに、ひとつのミスもなく、難曲をただ弾きこなすことに神経をすり減らしていたというわけです。これじゃあ、ダメですよ、というわけです。そのことからいえば、日本のピアノ奏法は完全に間違っていたわけですね。

 きょう聴いたピアノも、それに近いと思わずにはいられませんでした。

 それとペダリング。どうもしっくりきませんでした。ペダルは、音をたんに引き伸ばすだけじゃダメなような気がします。音をつくる気持ちがなくちゃと思いますね。多くのピアニストは、絶妙なペダリングをおこなっています。

それと気になったのは、ピアノベンチとピアノのあいだが狭すぎたようです。そのために、伸びやかに、腕と肘を使うことができませんでした。ピアノベンチはたんに腰かけるものでしょうか? そうではないはずです。自分に合った最高のコンディションをつくるもので、惜しいなと思いました。

 ぼくは専門家じゃありませんけれど、コンサート・ピアニストのすばらしい演奏を聴いているので、そんな感想を抱いてしまいます。

 ホロヴィッツの音楽と違うことを、耳で確かめてほしいなと思います。もっと余計なことをいいますと、ホロヴィッツは譜面に書かれていないことまで平気で音をつくりますから、たとえば、辻井伸行さんのピアノと違うと思っても、それはとうぜんなんです。再生音楽家としてゆるされる範囲なら、それはそれでいいでしょうが、そういう意味では、指揮者もおなじことがいえます。指揮者によって、おなじ音楽も違うのですから。



 ぼくはむかしヴァイオリンを弾いていましたが、譜面は読めますが、ヴァイオリンはもっぱら聴くだけです。ピアノは弾けませんが、もし弾けたならどんなに幸せかと思うことがあります。中村紘子さんの教えもあって、さいきんは日本人のピアノもすばらしくなったと思います。

 辻井伸行さんの鮮烈なデビューで、これからが楽しみです。

 きょうは、つまらない話をしてしまいましたが、ぼくは音楽が大好きで、彼らの苦悩から何が飛び出すやら、いろいろ楽しみなんです。