日本が日露戦争に勝てたのは?
こんばんは。
歴史には大別して、空論じみたイデオロギーの時代と、現実感覚に富んだ時代のふたつがあるとおもわれる。日本が、日露戦争で勝利した時代は、現実感覚に富んだ時代だったという人がいる。日本は、イギリスのように産業革命がないのに、産業革命以上の大きな時代の波をつくった。
いま、われわれの生活のなかに、これまでになかった文明が出現しようとしている。そして、そのことに気がつかない人びとが、あちこちでそれを阻止しようとしている。この新しい文明とともに、新しい家庭像が生まれ、仕事、恋愛、生活の実態が変化し、経済も新しくなり、政治もまた新しいものとなる。なにより大きいのは、意識の変革が平行して起こることである。
(アルビン・トフラー「第三の波」日本放送出版協会、1980年)
この文章は、いまから37年前に出たアルビン・トフラーの「第三の波」第1章の冒頭の文章である。第一の波は農業革命、第二の波は産業革命、第三の波は情報革命。――トフラーは、きたるべき未来の情報革命についてのべたものである。
情報革命時代といわれて、ずいぶんたつ。
何が情報革命なのか、日本人にはほとんどわからなかった。物づくりに自信と情熱をもっていた日本人は、物づくりが情報革命なのだとおもったのである。それは違っているが、その違いを知る人はひじょうに少ない。いまだに日本人は物づくりに情熱をそそいでいる。
ビル・ゲイツも、スティーブ・ジョブズも、ある企業にインスパイアされ、じぶんもあのような会社をつくりたいとおもって大きくなった。それはソニーであり、盛田昭夫である。作家ポール・オースターは、かつてこんなことをいった。
「小説を書くというのは、実際に起こらなかったことを想いだすようなものだ。その意味で、ノンフィクションを書くよりはるかに難しい」と。
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ぼくは、いまから114年まえに起こった日露戦争のことを、しばしばおもい出す。日本が近代国家になってたかだか35年ほどたった時代、日本は大国ロシアと戦争した。戦争して勝てるとおもったのである。清国と戦ったとき、日本は勝てるとおもっていなかった。勝てるとはおもっていなかったが、日本人はプライドをかけて戦った。その結果、勝つことができた。なぜ勝てたのだろうか。その答えがわかれば、日露戦争に勝てた理由もわかる。
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昨年、イギリスのメイ首相が来日し、まさに第4の「日英同盟」のような両国の蜜月交渉を成功させた。EU離脱後の日英経済関係をより促進しようという目論見である。一部の報道では、真顔で「日英同盟」をうんぬんしている。「両国の緊密な絆」は100年の紐帯関係を結んできた、と書かれた。
100年の紐帯関係とは、どういうものであったか、第3次「日英同盟」で日本は中立国でいられず、望まない第1次世界大戦に参戦することになった。
――150年まえの明治という時代は、とても遠い世界になったようにおもえる。で、先日、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」のことをひょいと想いだして、ある年配の男、――たぶん80に手がとどくような男で、元商社マンの男――にその話をした。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の冒頭の部分である。
「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。/その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑(しゅゆう)は松山……(略)。/この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかくわれわれは三人の人物のあとを追わねばならない」と書かれている。
――その3人とはいったいだれなのか?
ということになるけれど、ひとりは俳人の正岡子規、残るふたりは、松山藩士・秋山信三郎好古(よしふる)と、真之(さねゆき)兄弟である。おもしろいのは、3人とも戊辰戦争のとき、賊軍とされた伊予松山藩の出身である。
秋山真之
日露戦争を描くのに、まず、この3人の生き方を描いていく。
こんな小説は、ぼくは読んだことがなかった。ただの戦記ものでないことはいうまでもない。司馬遼太郎という作家は、いった何を書こうとしたのだろうと振り返って、その文章を想いだしたとき、この長編小説の冒頭の部分で、青い山脈のようにそば立つ風景があらわれてきたのである。それは「この時代の小さに日本」だった。
明治という時代を彼は描きたかった。だから「この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、……」と、ことわっているのである。その話をすると、Hさんは、
「じぶんもそうおもうよ」といった。そして「その好古が亡くなったとき、仲間たちは、むかしの武士は死んだといったらしいよ」とつけ足した。
彼はみずから望んで軍人への道を歩いたのではなく、自然ゆたかな松山藩士としての人生をまっとうした人間、いかにも武士らしい生涯を、作家はひとりの武士として描いたようだ。弟の真之のほうは50歳まで生きたが、日本海作戦では参謀として頭脳を極限まで使い果たし、あろうことか、敵に背をむけるような危険な「丁字戦法」をあみだし、圧倒的な勝利を手に入れた。
その後、ほんわかした海軍の官僚生活を送らず、海軍中将まで昇進したが、健康をそこねて待命となり、小田原で倒れて1ヶ月後に帰天した。臨終のことばがある。
「みなさんいろいろお世話になりました。これから独りゆきますから」と。
「ほう、そうですか」とHさんはいった。
ぼくは日露戦争を決断した日本の、まことに苦しい時代、戦費をめぐって高橋是清が奔走した歴史をいくどか書いてきた。世界最大の海軍をもつロシアに宣戦布告をする日本の話を書いてきた。
ジェイコブ・シフ
とうじ日本は、戦争をする金などない。
その金をどこから調達するのか? ということだが、まず戦費を調達するために、高橋是清はヨーロッパに出向く。そのころ、ジェノヴァではアルゼンチンの艦船2隻が建造中だった。アルゼンチンは、チリとの戦争にそなえて建造していた。そして間もなくアルゼンチンが、チリと平和条約を締結したことを知ると、日本側は是が非でも、その2隻を手に入れたいとおもう。
ところが買う金がなかった。
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この話は、「坂の上の雲」にも書かれていない。
そして、ロシアとの日本海海戦の記録もちゃんとしたものはなかったから、司馬遼太郎の小説には、丁字戦法の概略しか書かれていない。――ちゃんとした記録「日露戦争 観戦武官の記録」という膨大な1400ページにのぼる海戦記録が、アルゼンチンにあったのである。その記録(全5巻)が日本側が手に入れたのは、平成5年のことである。これは機密文書として、それまでアルゼンチンから出ることはなかった。
その記録は、いったいだれが書いたのか?
アルゼンチンの海軍大佐マヌエル・ドメック・ガルシアという男で、彼は、日進に観戦武官として乗り込んでいたただひとりの外国人である。100年以上もまえの戦争である。日本では、そのような事実は、どこにも公に記録されることなくすぎていった。日進にひとりの外国人が乗り込んで観戦していたことなど、まったく知られていなかった。しんがりを務めた日進は、100人ちかくの死者をだした。阿鼻叫喚の惨状を、ガルシアはその目で見たのである。そして彼は帰国後、3年をかけて記録していったものである。
「平成5年ですか、……。そりゃあまた、どうして?」とHさんはいった。
「ロシアは、同盟国にはたらきかけて、日本海海戦に援軍を呼ばなかったのは、たぶん、ロシアの威信にかけて、日本に敗けるはずはないと信じたんでしょうな」
「そうでしょうね。敗けるなんて、考えていませんね。……日本は日本で、1902年に締結した日英同盟があるからでしょう。これは軍事同盟で、もしも他国がロシア側について参戦をしたとき、イギリスは日本側について戦うというものでしたからね。イギリス海軍もりっぱでしたから」
1902年1月30日、ロシアの極東進出政策への対抗を目的としてイギリス外務省において、第1次日英同盟がむすばれ、その後、第2次(1905年)、第3次(1911年)と継続更新された。
こうした世界の状況のなかで、司馬遼太郎は、日露戦争をタテ軸にして、正岡子規、秋山兄弟のゆく末を見さだめ、明治の青春群像を明るく描いた。国のために、命をささげる、という志を描いたのである。
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さて、日露戦争の戦費の総額は、18億2629万円。
内外の国債をのぞけば増税によってまかなわれ、所得税でいえば、一律に税額の70パーセントが増徴された。さらに第2次非常特別税法により、それぞれ所得階層において累進的に30パーセントから200パーセントが加えられた。これにより、内国債6億7200万円に達した。
しかし、それでもざっと約9億円が不足する。
高橋是清は、日本政府が起債した8200ポンド=約18億円の戦時公債のうち、3925ポンドを、ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff 1847-1920年)というユダヤ人の協力のもとで捻出することに成功した。
しかしこれは、ぼくにとって、長いあいだの疑問だった。なぜなら、高橋是清はなぜユダヤ人のボスに会う気になったのか、ということである。会って、戦費を貸しつけてほしいというとき、何を担保にしたのだろうとおもった。信用だろうか? それとも、反ユダヤ主義をかかげる帝政ロシアの何かと引き換えに?
それはないだろう。
それとも、一君万民の竪琴を奏でつつも、日本がアジアにおける第2のユダヤ人になりそうだと訴えたのだろうか。徳川一強の時代を乗り越え、ようやっと世界の列強に肩をならべて、新生日本のスタートを切ったばかり。
高橋是清は、ロシアを知る榎本武揚に、ロシアについて、なにがしか尋ねたにちがいない。そのころ、ウラジオストックは、急ピッチで整備をすすめていて、ロシアの太平洋艦隊のもっとも理想的な巨大な軍港建設をはじめていた。そのウラジオストック港は、北海道の箱館港からわずか2日間で行ける距離でしかない。
これは、日本にとってたいへんな脅威である。
「日本側に、ユダヤ人がお金を用立てたのは、なぜ?」という質問に、ヘブライ大学のベン・シロニー元教授は、つぎのように話している。
「大金を日本に貸しつけても、かならず回収できる!」
しかし、それが主な動機でないことは明白である。国際的にはだれが見ても、日本には勝ち目のない戦争だったのだから、回収のリスクがきわめて高いことが知られていた。
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高橋是清は、明治36年(1903年)11月、日銀の松尾臣善総裁から、日露交渉がまとまらず、開戦となったばあい、日銀として軍費の調達に全力をそそがなければならなかった。もしも開戦となれば、1年で海外で流出する正貨は、外国の銀行が持ち出すもの3500万円、輸入代金として流出するもの3000万円、計6500万円。
これにたいして、日本銀行が所有している外貨は1億1700万円しかなく、残りは5200万円、これには、戦争後、海外支払いとなる軍需品の代価はふくまれておらず、どうあっても戦争継続は困難であることがわかる。
さらに、アルゼンチンから買いつける「日進」、「春日」両戦艦の費用もままならず、高橋是清は、アメリカ経由でロンドンに出向き、バース銀行頭取のバー、本店総支配人のダンに面会し、募債活動を開始する。香港上海銀行、チアター銀行、ユニオン銀行幹部にもあたるけれど、芳しい進展はなかった。
しばらくしてバース銀行の取引先であるクーンロエプ商会のジェイコブ・シフが、500万ポンドを引き受けてアメリカで外債として発行してもいいといっていることがわかり、彼と会うことになった。
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栄光ある孤立を誇っていたイギリスが、極東の小国日本と「日英同盟」をむすんで世界を驚かせた。なおかつ、海軍の主力艦である戦艦「三笠」をはじめ、装甲巡洋艦など、日本はイギリスに戦艦建造を発注するなど、近代戦争の戦力を着々とすすめている日本を見て、世界のユダヤ人社会、――とくに、「反ユダヤ」を掲げる帝政ロシアと生涯戦いつづけることになるジェイコブ・シフにとって、個人的な軍事同盟を日本と締結し、日本の戦力を使って、ロシアにたいして鉄槌を仕掛けることを目論んだとしても、おかしくない。
そのジェイコブ・シフに会えたことは「天佑(てんゆう)」であると、のちに高橋は述懐している。高橋にとってまさに青天のへきれきだったことだろう。高橋是清はのちに、こうのべている。
明治37年5月、いよいよ日本公債を発行することが発表され、数日まえには、日本軍が鴨緑江の戦いで勝利したことが新聞に報道されたりして、日本公債は予想外の人気を呼んだ。応募者は英米ともたちまち発行額の数倍になり、その日の午後3時にしめきられ、なんと、目的額をあっさりとクリアしてしまったのである。この公債発行は、ロンドンとニューヨークで同時に開始され、申込者が列をなし、2、3ブロック先まで人がならんだといわれている。
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高橋是清は、はじめからイギリス政府の意を汲んで、ひそかにユダヤ人のボスにあたりをつけ、イギリス政府が用意した大テーブルを前に、ヴァーチャルな「日ユ同祖論」を現実のものとして訴えたというのだろうか。彼は日本の窮状をうったえ、資金の提供を願い出る。
すると、銀行家の晩餐会で隣席したシフから、
「日本兵の士気はどのくらい高いか?」という質問をうけ、高橋が応答すると、翌朝、500万ポンド公債をシフが引き受けることが伝えられたという。これには、さすがの高橋是清も驚いたにちがいない。
「この戦争は自衛のため、やむを得ずはじめたものであり、日本は万世一系の皇室の下で一致団結し、最後の一人まで闘い抜く所存である。支払い能力の多くは関税収入である」といった。
シフは2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけをつくったのである。
以後日本は、3回にわたって7200万ポンドの公債を募集。シフは、ドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現した。結果として日本は勝利を収め、シフは一部の人間から「ユダヤの世界支配論」を地で行く存在と見なされるようになる。
これ以後、シフは、高橋是清との親交を結んだのはいうまでもない。
日本は、約18億円の半額である9億円を借り受けることになったが、高橋是清のいうように、担保のほとんどは関税だった。だが、その担保の関税をいちども差し出すことなく、日本政府は完済した。その9億円という金額は、当時、日本の国家予算の60年分に相当し、巨額にのぼる。
ジェイコブ・シフが用立ててくれた3925ポンドが完済できたのは、1986年(昭和61年)のことだった。――これはヴァーチャルな歴史ではない。現実なのである。




















