家の中からガレージに出ると、湿気を含んだ外気に白い息が漂う。

マイナス表記の気温からわずかにプラスになっても、体内から出でる息ははっきりとした白い湯気の様な気体である。

参道の入り口の和菓子屋に頼んでおいた赤飯を受け取りにいき、寒さで凛とした面持ちの豊国神社の前を通り過ぎる。



十数年前に、初めて仕事を教えて頂いた師匠が亡くなっ

た。

完成品の美しさを追求するあまりに利益度外視を貫き、組織の上層部には疑問を呈する者もいたが、手掛けた品物がなによりもの営業力となり、大手の難解な試作品の受注が相次いだ。

タイミングなのか、運なのか、私はその人の直属で仕事をさせてもらうことができた。

私はこの人の「あんたなら出来る」という優しい言葉を忘れない。



亡くなる数週間前に病室を訪れると、ガイコツの様になってしまった師匠がこんなことを言った。


もう何もしてないんだよ、、これ以上生き恥晒してまで生きようとは思ってないし。

潮時だと思っとる。

ただ、痛みだけをとってもらってるだけ、、。


長崎の訛りが混じった言葉はしっかりとしていた。

決して投げやりではなくて、死に様も仕事の如く丁寧そのものであり、、ただ若輩、未熟の自分には理解を超えた言葉だった。

そうして、病室にいた娘さんが父親の覚悟をしっかりと尊重しているのに驚愕してしまった。

常に笑顔で、間もなく間違いなくきえてしまう父親の命を真正面から直視している姿に何故か恐怖心すら覚えた。



男親にとって娘というのは特別な存在だと実感する。

娘の言葉が自分の生き様の評価であるとつくづく思う。

それは私にとって後悔の塊であるけれど、もうどうしようもなく、、。

ただ私を反面教師にしてくれている娘に救われる。




今、生き恥を晒すという言葉の意味が、白い息の様にはっきりと見える。