「ITの会」といふ懇親会を十年ほどつづけてゐる。
コンピューター関係者の集まりと思はれるかもしれないが、もちろんそんな小むづかしい会ではなく、「IT」とは「アイドル・トーク」の略、つまり「無駄話の会」である。
メンバーは小学校六年生当時の同級生八人で、六十歳過ぎにひらいた同窓会の興奮から、気のあふ男女が毎年春と暮れ、思ひ出の小学校近くの店で老後の無駄話を交はすやうになつた。
いふまでもなく、話し出したら止まらない病気と孫の話は厳禁。だれかがそれを口にしたら、隣の席の人間が責任をもつてすぐ話題を転換させる。
そこで必ずだれかから話に出るのが、ぼくの雨の日の登校スタイルで、「いまはああやつて、誰よりもいつぱい酒を飲んでゐたりするけどーー」といふ前置きからひやかしが始まる。
生来、あまり「勤労を尊ぶ」ほうではなかつた母親は、三人姉弟の末つ子のぼくを産むと、母の実家近くの農家の娘さんをわが家に呼んで同居させ、家事一切を任せた。いはゆる「女中」で、当時はかういふ家も少なくなかつた。
雨が降ると、母親はぼくを小学校までおんぶして送るよう「ナカちゃん」に言ひ付ける。
ぼくは雨合羽を羽織り、長靴をはき、ナカちゃんの背に乗つて、蛇の目傘をもつ。
「おんぶしてもらつてゐるのに、長靴を履いている。しかも、ナカちやんの背中で傘をさす格好が曲芸のやうでなんともをかしかつた」
と同級生は笑ふ。
鉄棒をやらせれば逆上がりもできない。跳び箱は三段までしか跳べない。今でいふ虚弱児同然の同級生が、雨のなか、女中に背負はれて教室に到着するのを、みんなで窓から興味津々ながめてゐたらしい。
七十年たつても、そんな光景が他人の目に焼きついてゐるといふのはおそろしい。
これが幼時体験の基盤にあるせゐか、いまでも雨の日は好きではない。
ジョニー・レイの「雨に歩けば」、月形半平太の「春雨ぢや、濡れて参らう」、八代亜紀の「雨雨ふれふれ もつと降れ」(雨の慕情)……例を挙げるまでもなく、雨は文学、音楽、絵画、演劇などに欠かせない小道具だが、ぼくにとって雨はただの厄介者だ。
「四時五時をとこ」と呼ばれて、毎日四時になると五番テーブルに「予約席」の札を置いてくれるブラスリーでも、店長が窓から空模様を確認して、雨が降りさうだとその札をさげる。
雨が降つたらぼくが顔を出すことはないのを店長は十年余の経験で学んでゐる。いつもそこで歓談する飲み仲間も雨が降つたら来ない。
もうナカちやんの背中はないから、雨の日は家の中でぢつとしてゐる。
