新聞記者あがりの年寄りが一杯やる会が意外に早くお開きとなつたので、西神田から人形町交差点まで20分ほど歩いて、現役時代に毎晩のやうに通つた小料理屋に寄つてみた。

 

何年ぶりだらう。初老の大将も女将も変はりなく、歓声をあげて歓迎してくれた。

 

前の席でワインを何杯か飲んでゐたので、ここでは昔からこの店自慢の「アナゴの白焼き」と銚子2本を注文した。

 

店はこの近所の常連客らしき中年のサラリーマンでカウンター6席と二つのテーブルの8席が埋まつてゐた。

 

小一時間で腰を上げ、女将が持つてきた勘定書きに「4600円」とあつたので5千円札を渡す。

 

折り返し女将が持つてきた釣銭の百円玉4個が乗つた古い牛革の小皿を、以前のやうにそつと女将に押し返した。

 

チップといふと大袈裟で、要するに客からのほんの「お愛想」である。

 

その時、いつも笑顔を絶やさない女将が、今までぼくの前で見せたことのない動きをした。

 

白い歯をきらきらさせて微笑みながら、持つた小皿から百円玉4個を1個1個指でつまみ上げると、それをぼくの掌に握らせたのだ。

 

寸前まで水仕事をしてゐたのか、女将の指先は異様に冷たかつた。

 

「えつ、なんで?」

 

ぼくは怪訝な顔をする。

 

女将は相変はらず春風のやうな笑顔を絶やさず、言葉はない。

 

夜の街の小料理屋やバーで、会計のときにこちらが置いた「お愛想」を押し返されたのは初めてだ。

 

ぼくの掌に戻された百円玉も冷たかつた。

 

どうしていいか迷つたが、こんなことで押し問答するのもみつともないから、ぼくは渡された百円玉をポケットに収めて店を後にした。

 

不可解なのは、女将がなぜ「お愛想」を客に返してよこしたかである。

 

たかが百円玉4個のことだが、帰途の電車に乗ってからもぼくの心は波立つてゐた。

 

女将はサラリーマンを辞めて無職になつたぼくに、「もうお愛想なんて無理をしないで」といふ気遣ひなのか。

 

あるいは「年金生活は何かと大変でせう」といふ憐みの情なのか。

 

ぼくはいささか反省した。

 

もしやそのとき、こちらは自覚してゐなかつたけれど、リタイアして18年の80翁、人相風体になんとなく老醜――淪落(りんらく)の気配ともいふべきものを漂はせてゐて、敏活な女将にそれを察知されたのではないか。

 

この店に顔を見せるのもこれが最後かなといふ気がした。