小学生のころ、秋から冬にかけてと早春の季に、毎年4,5日続けて学校を休まなければならなかつた。

 

 喉の扁桃腺が赤く腫れて、38,39度の熱が出た。

 

 定期的にしばしば長期欠席するから、おそらく学校では「虚弱児」のレッテルを張られてゐたに違ひない。

 

 それは自分でも認めざるを得なかつたが、この持病は自分では防ぎやうがなかつた。

 

 学校の健康診断で、口の中を見た校医は必ず「扁桃腺肥大」と記入した。

 

 母親が校医に相談したところ、手術で扁桃腺を切除する手もあると言はれた。

 

 「手術? いやだ。扁桃腺と一生付き合つていくから手術はしない」

 

 と言ふぼくに、母親は、

 

 「一生付き合つていくなんて、一生のハンデキャップになるのよ。たとへば高校や大学入試の日に扁桃腺が腫れて高熱が出たらどうするの?」

 

 「大丈夫。気をつける」

 

 ぼくは母親の勧めを突つぱねた。

 

 「あなたは他に体に弱いところはないのに、喉だけがすぐ腫れるから……」

 

 母親は心配さうだつたが、それ以上手術を強ひることはしなかつた。

 

 その「虚弱児」が長じて、いはゆる社会人になつたら、夜が主たる仕事時間で睡眠も満足にとれないにもかかはらず、定年退職するまで41年間、「病気欠席ゼロ」だつた。

 

 扁桃腺で熱が出ることはあつて、数日声が出難くて電話に出られないことも何度かあつたが、仕事は休まなかつた。

 

 「自分で気をつける」と母親に宣言した以上、ふだんから喉への気配りには人一倍意を用いた。

 

 いま83歳。偉さうに言ふほどのことではないけれど、日本人男子の平均寿命(81歳)を超えた。

 

 虚弱児がなぜここまで大病もせずに生きられたかといへば、ひたすら「喉への養生」に尽きる。

 

 夜ベッドへ入るときは、夏は別にして欠かさず首に何か布を巻き、口にマスクを着ける。

 

 マフラーやスカーフは、材質、柄、長短それぞれ、ネクタイと同様、ウオーキングクロゼットに3,40本ぶらさがつてゐる。

 

 龍角散など喉に効く常備薬も切らしたことがない。

 

 戦国の世、戦ふ武士たちはまず喉を護つたといふが、ぼくも社会に出て「まず喉を護る」ことに専念した。

 

 体の不調は喉に出る。

 

 何となくいがらつぽい、朝の嗽(うがひ)に違和感がある、妙に喉が渇く、咳き込むーーなどはぼくが体得した黄信号だから、すぐ対処する。

 

 これが元虚弱児の唯一の健康法である。