土曜日の昼過ぎ、夫婦でゆつたり居間で昼食を摂つてゐた。テレビがついてゐる。

 

 地上波では、NHKが甲子園の高校野球を中継してゐるが。つまらないのでチャンネルを回す。

 

 民放各局では、名も知らないタレント3人の旅番組、漫才あがりが雛壇にならぶクイズ番組、さらには、いまや「世界の二軍」としか言ひやうのない「日本のプロ野球」の試合などを流してゐる。

 

 「ううーん、特に見たい番組はないな」

 

 僕が言ふと、家人はあらためて新聞の中面をひろげてレビ欄を見る。

 

 「……どこも似たり寄つたりね。平日と違つて、定時のニュースも少ないしーー」

 

 そしてなんと、言つたのである。それもはつきりと自分の言葉で。

 

 「なんなら、消してもいいわよ」

 

 わが家ではテレビのチャンネル権は家人にある。

 

 朝起きて、彼女が一階の居間に降りてスイッチを入れると、深夜に寝室に上がるまでテレビは付けつ放しになる。

 

 自称“終身ジャーナリスト”としては、老後といへども世界でいつ何が起きるか神経過敏でありたい。

 

 イラン情勢はどうか、トランプ大統領がまた何かヘンなことを言つたか。地球の気候変動は?

 

  ――テレビはそんな情報の入手手段として欠かせない。

 

 家人もぼくのささやかな矜持は理解してゐるから、街角のラーメン屋みたいに一日中テレビをつけつ放しにすることに異存はない。

 

 しかし、である。最近のテレビの放映内容のお粗末さは、「ヒドイ」の程度を超えてゐるのではないか。

 

 各局とも、のつぴきならない財政事情で番組制作の経費をケチらざるを得ないのは分かるけれど、それにしても、もはや「テレビ番組としてつまらない」段階を通り越して、「目にすることが苦痛になる」やうな内容が多すぎる。

 

 家人がやつと、「消してもいいわよ」と言つたのにはかういふ背景がある。

 

 その一言を待ち構へてゐたかのやうに、ぼくはテレビのスイッチを切った。

 

 さて、突如そこに生じた静謐は、わが家にとつては画期的な出来事だつた。

 

 16畳の居間が、一瞬にして深い森の中のやうな無音に包まれた。

 

 夫婦の間に、稀有な、奇妙な無音が出現したのだ。

 

 そこでは、コーヒーカップをテーブルに置く音も、サラダを食べた後のフォークを皿に戻す音も想像以上の音に化ける。

 

 カリカリに焼いたベーコンを二つに畳んだナイフを皿に置くとき、ナイフがチンと尖つた音を立てる。

 

 ばくがサラダ菜を咀嚼する音も部屋中に聞こえる気がする。

 

 「インスタントのでいいけど、今からスープは出来る?」

 

 そこに訪れた奇異な静謐に間がもたなくなつたぼくは、日ごろあまり口にしたことのないスープを家人に所望した。

 

 「ランチにスープなんて、珍しいわね」と言ひながら、家人はそれでも夫婦の間に生まれた無音を糊塗する絶好のネタを得たかのやうに、調理場に立つて湯を沸かし始めた。

 

 「9月に転職すると言つてゐた隣りのシンちゃんは、もう新しい職場へ移つたのかな」

 

 就職のとき、ぼくがちよつと口をきいてあげた近所の40男の話。

 

 「暁からは何か連絡があつたかな。今年も夏休みは一家でどこかへ出かけるのかなあ」

 

 ここしばらく電話もない長男一家の話。

 

 「扇は最近、帰りが遅くなると、寝る前に腹いつぱい食べるけど、あれは健康に良くないよね」

 

 50歳を超えて独身の長女の話。

 

 テレビといふBGMがなくなつた間を埋めるやうに、夫婦の口から次々と世間話が飛び出す。

 

 テレビの選局は1、4、6、8など、局ごとに銀行の暗証番号みたいな数字が並ぶけれど、夫婦の間に新たな静謐を生むには暗証番号は要らない。

 

 ポンとテレビのスイッチを切ればいい。