家人とテレビを観てゐると、久々にドラマに出演した中年女優を指さす。

 

「あら、この人、ちよつとテレビに出ない間に急に老けた。首筋なんか、ホラッ」

 

その声はなんとなく嬉しさうにひびく。

 

眠つてゐた男を愛人が包丁で刺したニュースでは、「昔は女が刃物を使つても、お腹とか足に怪我をさせるのが精々で、殺すまでは行かなかつたけど、このごろは女が本当に男を殺しちやふのね。女が強くなつたのかしら」。

 

衆院解散の話が流れれば、「高市さんつて、あんなに働いて、働いて、よく病気にならないものね。もう若くはないのに」――。

 

ぼくは一応、耳を傾けてはゐるけれど、実はあまり聞いてゐない。

 

同意する点はあつても、わざわざ相槌を打つほどのことでもないから、会話は続かない。

 

ここで一つ、ぼくのプライバシーに関する「秘密の暴露」をすると、八十余年、ぼくの特技は必要に応じて、他人の話を「うはのそら」で聞くことである。

 

もちろん、このことを人には言はない。言へば顰蹙を買ふに決まつてゐる。

 

ついでにもう一つ「秘密の暴露」をするなら、誰かと話をしてゐるとき、「うはのそら」で聞き流していい事柄と、テークノートすべき事柄を、ほぼ自動的に分別する「内なるAI」が多少達者なのかもしれない。

 

これは暴露といふより自惚(うぬぼ)れ。

 

このワザを身に着けたのは、41年間続けた仕事のお陰だ。

 

総理番を担当した俊傑・田中角栄氏に始まつて、自民党幹事長から総理大臣に昇りつめた怜悧・中曽根康弘氏まで、多くの政治家から学ぶことは多かった。

 

中でも最も勉強になつたのは、朝から晩までほとんど分刻みで重要人物と会ひつづける彼らの「秘技」。

 

人間だれしも理解力、記憶力には限界がある。

 

面会する人すべての言ふことをまともに聞いて、すべて記憶しようとしたら身がもたない。

 

人と会ふことが職業の政治家たちは、そこをどう工夫してゐるか。ひと言でいふと、会ふ人会ふ人からもたらされる膨大な情報に、瞬時に軽重の評価をつけて、記憶すべきこととその必要はないことを峻別する。

 

どうでもいい話は「上の空」で聞き流し、これは「役立つ情報」と思ふと、頭の芯につなぐ。

 

有力で有能な政治家の一つのワザが、ここでモノを言ふ。

 

それはこちらが「上の空」で聞いてゐることを相手に察知されないテクニックで、これこそ有能政治家の必須科目である。

 

選挙区から上京した支持者が、郷里に帰つて「あのセンセイは私の話を真摯に聞いてくれた」と周囲に報告してもらへるやうに、ときに机上のメモ用紙に「お孫さん修君は3歳」などと鉛筆を走らせたり、いま話に出た政治家や役所などに、即刻、その場から電話をかける。

 

いづれも有能な政治家の“伝統的詐術”だ。

 

家人の話を聞きながら、まさかメモをとるわけにもいかないけれど、少なくとも家人の言ふ感想や評価に共感するやうな表情、身ぶりを見せなければならない。

 

それが老夫婦の智慧といふもので、人心掌握術に長けた政治家には教へられるところが多い。