「もうしばらく書いてないんぢやない?」

 

 昼下がりの居間で、夫婦の話題が途切れたとき、ふとかう言はれた。

 

「分かる?」

 

書いてない、とは小説の話である。

 

コロナ禍で世の中が騒然となつた数年前から、「書く」と言へるものは月に800字ほどのエッセーと、趣味のブログを月に2本だけ。ブログはエッセーを流用することが多い。

 

他はパソコンでメールを日に数本打つのと、必要に迫られてたまに書く短い封書、はがき程度で、小説のやうな長いものは書いてゐない。

 

似たやうな質問は外でも受ける。

 

15年ほど前に某文学賞(賞金100万円)をもらって、ネットの自己紹介欄の「職業」におこがましくも「作家」と記してゐるので、初対面で名刺交換した方などから、

「最近はどういふものをお書きになつてゐるのですか」

と問はれる。

 

今、自分にとつてこの質問ほど「イタイ」ものはない。

 

ここ数年、「新潮」「文学界」など文芸誌への掲載も、小説本の出版もない。

 

ネットの職業欄の「作家」は、多くの「作家」がさうのやうに、ほとんど“自称”になりかけてゐる。

 

コロナ禍がきつかけで小説が書けなくなつた。

 

小説には人間が登場するが、その言動、風俗などを書くのにコロナが致命的な障害となつた。

 

たとへば人物の風体を描くとき、顔を覆ふマスクは絶対に欠かせない部品になつたし、人と人が以前のやうにいつでもどこでも自由に会へる状況ではなくなつた。

 

小説の中で、いちいち「コロナ禍で」と断り書きを付けなければならない。

 

鬱陶しかつた。マスクをしている女性の表情をこまかく描写するのは難しい。

 

会話の中でも流行中の疫病に触れないわけにはいかない。それがイヤだつた。

 

かつて結核が世に蔓延したころ、堀辰雄や太宰治、梶井基次郎など、作家は臆せずに結核といふ病を小説に書いた。

 

コロナと同様、書き難かつたり気が進まない作家もゐただらうが、ともかく「肺病病み」の小説を大量に世に遺した。

 

正直に言ふなら、ぼくがコロナ以来小説を書けなくなつたのは、実はこの疫病のせゐなんかではなくて、齢70代の後半に差しかかつてゐた身の精神、創作意欲が減退し始めてゐたからかも、と白状しなければならない。

 

コロナ禍が一応鎮かになつた今、まるでその後遺症のやうに、依然として創作意欲が縮んだままなのは、もしや単に老いのせゐなのか。

 

「別に気にしないでね。いま、小説はあなたの仕事ぢやないんだから」

 

家人はさう付け加へたが、彼女は一体ぼくの何を見て、どこを見てさう言つたのか不安になつた。