アイドルグループ「嵐」が来春解散、といふ話が、芸能ニュースではなく一般ニュースとして流れた。

 

これって、トランプ関税やインド・パキスタン紛争などと並ぶ大ニュースなのか? と傍(そば)にゐた娘(50女)に疑問を呈したら、「元新聞記者もニュース感覚が鈍つたわねえ」と笑われた。

 

「嵐解散」は今の「ふつう人の感覚」からすれば十分にトランプ関税などと並ぶ大ニュースなのだといふ。

 

SMAP解散のときもさうだつたが、その辺のぼくの感度が本当に鈍くなつてゐるのか、あるいは娘が自負するやうな「ふつうの人の感覚」のはうがをかしいのか。

 

夕食後、見るともなくテレビを見てゐると、最近、毎日のやうに顔を見るお笑ひ芸人やタレントたちが何人もひな壇にたむろして、次々と流される曲のイントロの1,2音を聴いて曲名を当てるゲームをやつてゐる。

 

ポポン、ザザザ、などといふ1,2秒の音を聴いただけで、どうして曲名が分かるのか。

 

出演者には予(あらかじ)め、どんな曲が出題されるか予備知識を与へておくのではないか、とつぶやくと、こんどはやはり横にゐた80媼が反論した。

 

「そんなことないでしよ。どれもこれも一世を風靡した有名な曲ですもの、分かる人には分かるのよ」

 

マスコミの仕事をしてゐたころは、これも給料の内と思つて芸能ニュースや歌謡番組にも耳を傾けたが、リタイアしてからといふもの、観ようと思つてチャンネルを回すのは定時ニュースとスポーツ中継くらゐ。

 

あとは「なんとなくテレビが点いてゐるな」程度の認識しかない。

 

わけても芸能関係のニュースは、もう数十年、ほとんど“ほつたらかし”状態と言つていい。

 

それでも日々の生活――毎日通ふワイン屋のシェフやスタッフとの懇談、友人や道で行き交ふ近所の人との無駄話などには何の支障もない。

 

芸能関係のニュースとは無縁でも生きていくのに差し障りはない。

 

いや待てよ、と反省する。

 

もしかして、これは芸能ニュースに限つたことではないのかもしれない。

 

毎日、新聞、テレビ、パソコン、スマホなどを通じて、「気になる見出し」に気を惹かれ、目を奪われる事件、事故、スキャンダルといふやうなニュースの大半は、実はほったらかしにしておいてもほとんど困らないのではないか。

 

雑多な情報を始終見たり聞いたりしてゐないと時代に遅れる気がして、不安になつて、なんとなく落ち着かないのは、いつの間にか現代社会に瀰漫してゐる「ビョーキ」の一種ではないのか。