床屋政談みたいなことを言ひたくはないのだけれど、それにしても最近の政治家はみんな薄つぺらくなつたなあといふ思ひを禁じ得ない。

 

9月27日に投票が行はれる自民党総裁選に立候補する顔ぶれの話である。

 

自民党総裁は、今の政治情勢では内閣総理大臣、つまり、わがニッポンのリーダーとなる人であり、世界各国の首脳相手に会談して日本の国益を守つたり、場合によつては相手に宣戦布告する権限も有する。

 

いま総裁選に名前があがつてゐる人たちにそんな権能を任せて大丈夫なのかと不安になる。

 

「薄つぺらになった」と言うのは誰と比較してかといへば、頭に浮かぶのは、1973年5月、ぼくが政治記者になつたときの自民党の有力政治家たちの顔ぶれである。

 

佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘――佐藤内閣が退陣して、「さて、お次に控へしはーー」と言はんばかりに、「三角大福中」がずらり。次の総理がこの中から選ばれることは間違ひなかつた。

 

ぼくが最初に担当したのが、時の総理大臣・田中角栄に朝から晩まで随いて回る「総理番記者」だつた。

 

最後は中曽根派閥担当で、とくに親しく接触したのはこの二人と、中曽根派の大番頭・桜内義雄元衆院議長だが、単に取材で接しただけの人でも、今回の総裁選に手をあげてゐる政治家とは比較にならない「政治家としての風格」があつた。

 

高等小学校卒でありながら、独特の直観力と秀抜な才気で政界を生き抜いた田中角栄、政治も生き方もスタイリストに徹した三木武夫、会見の発言をそのまま書き写せば文章になつた俊邁・大平正芳、ここぞといふ時、その豊溢する発想と豊富な語彙力で政治を動かした福田赳夫、犀利な頭脳と決断力で5年余も首相を務めた中曽根康弘。

 

そして今回――石破茂、小泉進次郎、河野太郎、林芳正、高市早苗、小林鷹之、加藤勝信……「三角大福中」のころからワンジェネレーション後になる今回の総裁選候補者とは、残念ながら誰一人、ぢかに話をしたことがない。

 

だから、その軽重を比較してどうかう言ふのも気がさすが、だが、どう考へても、これまでに報じられてゐる経歴、政治歴、発言録などを見ただけで「格落ち」の感は否めない。

 

これは「政治家が薄つぺらになつた」と嘆いて済む問題でもない気がする。

 

いま、政治を目指す者が総じて「薄つぺら」になつたといふことではないか。

 

「東大法卒」のやうなお利巧さんは、ほぼ2年に1度、選挙といふ勤務評定と巨額な出費を強ひられる国会議員なんかより、大企業に就職して高給をもらひ、順調に出世して、経済的にも社会的にも安泰な道を選んだ方がトク、とソロバンを弾く。

 

「薄つぺら」な総理大臣が誕生するのも、彼らのせゐといふより社会のせゐなのか。

 

考へやうによつては、現代の私たちの生活で「政治」が土足でお茶の間に踏み込んでくるのはろくなときではない。

 

戦争か、大災害か、飢餓か、いづれ不幸に見舞はれる時である。そんな時代はご免蒙りたい。

 

今回の薄つぺらな総裁選候補者のだれが勝つても、それが今といふ時代の表徴であり、今にふさはしい総理・総裁といふべきなのかもしれない