2階で机に向かつてゐたら、突然、窓越しにタカかワシのやうな大型の黒い鳥が横切つた。

 

ふだん聞くこともない羽ばたきの音だつた。

 

羽ばたきは数秒後、枯死して今は幹と枝だけのモッコク(木斛)の頂きに止まつた。

 

体操の鉄棒競技で、最後に数回回転したあと空中に身を躍らせて着地する、あの典雅な止まり方だつた。

 

異変はそのとき起きた。

 

モッコクが完全に枯れてゐたからか、あるいは体長1メートルもあらうかといふ鳥の重さがひびいたのか、鳥がモッコクの幹のてつぺんに着地すると、幹が大きく左右にしなり、不安定に二、三回揺れた。

 

本能的に恐怖を感じたのだらう、鳥はすぐさまどこかへ飛び去つた。

 

並外れて大きいその鳥は、よく見るとなんとカラスだつた。

 

近くの旧官幣大社の鎮守の森を棲み家にしてゐる大群の親分なのかもしれない。

 

そのときのモッコクの幹の異様な横揺れが気になり、カラスが飛び去るとすぐ庭に出て、幹を手で揺すつた。

 

太い樹の内部で、ミシミシと軋む音がする。

 

さらに揺する。何かが壊れ、折れ、崩れるやうな音がした。

 

こんな危ない枯れ木を放置しておくことはできない。

 

これならぼくでも倒せるのではないかと、地上1メートルほどのところに手を当て、木が倒れても障りのないことを確認してから、やや決定的な力で幹を押した。

 

長年その世界で威容を保つてゐた巨大組織が一瞬にしてもろくも崩れ落ちるときのやうな、壊滅的かつ悲惨な感触が手に伝はつた。

 

さらに押す。

 

幹は動物が息を引き取るときのやうな小さな叫び声を立てて、ぼくが手をかけた反対側に徐々にかたむき、樹皮もちぎれて、やがて芝生の上に横たはつた。

 

中を覗くと、乾燥して茶褐色に変色した槍状の繊維質が、鋭利な切つ先を屏風のやうに連ねてゐる。

 

切つ先の一つを指先でつまんでみた。

 

悲しいほどあへなく、まるでチョコレート菓子にフォークを立てたやうに、ぐずぐずと崩れた。

 

子どものころ、下から三番目の枝まで登つて、隣りの家の生垣越しに見える新鮮な風景に感激した記憶がある。

 

ぼくと同じくモッコクも成長し、やがて電柱と電柱をつなぐ電線が上枝の茂みの中を通過するやうになつて、「いづれこの木は伐るほかないな」と観念したこともあつた。

 

80年余も親しんだ庭木の最後はあまりにもあつけなかつた。

 

この木は枯れてからも威厳を誇り、厚さ5ミリほどの堅牢な樹皮をA5サイズくらゐに剥がして、いまでも書斎に飾つてゐる。

 

マツ、モチ、モクセイなどと並んで「庭木の王様」と言はれるプライドもあつたかもしれない。

 

しかし、内部で進んでゐた老化と憔悴――。最後にひよんなことから一羽のカラスに現実を暴かれることにならうとは想像もしなかつただらう。