3人姉弟の一番上の姉が、9月7日に死んだ。93歳。
日本人女性の平均寿命(87歳)は越えてゐるものの、真ん中の姉が今年4月25日に87歳で亡くなつたばかりで、半年の間に二人の姉を失つた。
こちらがさういふ歳になつたといふことだらう。
13歳も歳が離れてゐるこの姉は、ぼくと同じ敷地内の家に次女一家と住んでゐて、晩年は自宅で裏千家の師範をしながらおとなしく暮らしてゐたが、末つ子のぼくから見て、若いころは何かとやんちやな姉だつた。
母親によく叱られては、擂粉木(すりこぎ)の棒を持つた母親に家中追ひ回されたりしてゐたのを、舞台の一場面のやうに覚えてゐる。
ある日、警察署長をしてゐた父が、ぼくに隠れるやうに姉二人を呼んで何か手渡してゐるのを見た。
1950年代、まだ日本が第二次世界大戦の災禍からの復興もおぼつかないころだつた。
地元の体育館で大規模な歌謡ショーが開催されることは、町の電信柱に張られたポスターで知つてゐた。父が姉たちに渡してゐたのはそのチケットだつた。
当時、日々食ふ物もままならぬ生活の中で、人々はささやかな娯楽をラジオに求めた。
夜のNHKラジオ第一の「三つの歌」や、軍歌、国民歌謡から解放された歌番組がもてはやされ、演歌歌手・近江俊郎の「湯の街エレジー」や、美人歌手・奈良光枝の「赤い靴のタンゴ」などがヒットしてゐた。
体育館の歌謡ショーには、さういふ今を時めく人気歌手が顔をそろへる。
入場料は今の値段にしていかほどだつたかわからないが、当日、会場周辺を警備する警察署長には貴重なチケットが数枚手に入つたらしい。
ぼくはまだ小学校の低学年だつたが、当然、歌謡ショーには興味があつた。
「なんでぼくだけ券がないの。ぼくも観たいよ」
ふだん抗(あらが)つたことのない父に抗議した。
「あなたはまだ小学生でしよ。早すぎます」
と、いつもはぼくの味方の母が口を挟んだ。
「謹厳な警察署長の妻」からすれば、艶(あで)やかな歌謡ショーなど小学生が観てはならないものだつたのだ。
「早すぎる」と言はれたら、十歳にもならない小学生は二十歳過ぎの長姉、高校生の次姉には適はなかつた。
二人の姉たちは今年、あの歌謡ショーのチケットのやうに、「年長者のチケット」を誇らしげに見せながら死んで行つた。
歌謡ショーのチケットと違つて、ぼくは今、そんなチケットは欲しくない。
「あなたはまだ早すぎます」
母親があの世からさう口を挟んでくれるのを期待しよう。
