初めての人に電話をかける。こちらの名前を告げ、けふ電話した趣旨を説明する。

 

 多少のやり取りがあつたあと、

 「電話でもアレですから、一度お会ひして、詳しくお話を伺へればと思ひますが、ご都合はいかがでせうか」

 とアポイントを取らうとする。

 

 かういふとき、なんだかんだと理由をつけて、「電話ならいつでも結構なのですがーー」と、多忙や体調を理由に直接会ふのを避けようとする人は、概してアヤシイ。

 

 何かを隠したがつてゐる人が多い。政治記者だつたぼくのささやかな経験である。

 

 本当に忙しかつたり体調が悪いなら、「電話ならいつでも結構」とは言はないだらうから、単に顔と顔を直(ぢか)に合はせる、俗にいふ「サシ(差し向かひ)で会ふ」のを避けたいだけなのだ。

 

 世の中には、人と対面するのを妙に嫌がる人がゐる。

 

 ここ数年のコロナ禍では、感染予防を理由に「対面」が神経質に忌避され、それが一種の「社会通念」のやうな風潮があつた。対面を嫌ふ人にとつてはさぞかし好都合だつたに違ひない。

 

 初めての人と接触するのに、実は「サシで会ふ」ほど有益なことはない。対面は情報の宝庫である。

 

 「初めまして。先日は電話で失礼しました」

の挨拶に始まつて、面会中、相手のメガネの奧の視線の揺らぎ、ものを言ふときの唇のゆがみ、脚の組み方や上半身、とくに両腕と指先の動き、ものを言ふ抑揚と声量、その場の様子や周囲の人間模様……対面することなしには得られない情報がそこに溢れる。

 

 そんな情報はその場でメモすることはできないが、少し神経を研ぎ澄ましてゐれば、それらはこちらの記憶の奥深くに収納される。

 

 もちろん、相手の心の中まで読み取ることは不可能だけれど、その人の性格、感性、品性、知性、ひいてはこちらが一番欲してゐる「正邪の判断」に役立つ手がかりが、そこには無数に露出する。

 

 まだ会つたことのない人の品定めをするには、最初の電話やメールで「サシで会ひたい」と告げて、その反応を見るに如(し)くはない。

 

 相手がどんな人間か、何の資料、データがなくとも、その諾否によつて、大よその判別はつく。これほど簡易なリトマス試験紙はない。

 

 逆に言ふと、寸毫(すんごう)もスキを見せたくない人とは、間違つてもサシで会はない方がいい。