桜の季と暮れの2回、律義にひらいてきた気の合ふ男女8,9人の会合が、コロナ禍のしわ寄せで2年半もひらけなかつたが、先日やつと復活した。

 

 幹事のぼくがなんとも惰弱で、テレビや新聞の感染者数の動向を横目に、「そろそろやりませうか」とメンバーにメールを打つことができなかつた。

 

 「もうみんな80歳前後なのだから、ぐずぐずしてゐると間に合はなくなるんぢやないかな」

 とメンバーの一人の医師から脅されて、むりやり6月下旬に設定し、連絡した。

 

 その日のうちに全員から「出席」の返信が来た。犬にエサを差し出して「待て!」のポーズをしてゐたのを「よし!」に切り替へた瞬間のやうだつた。

 

 しかし、会合の仕様は昔とだいぶ変はらざるを得なかつた。

 

 会場は古いフレンチのお店で、電話予約の際、マスク着用の徹底を念押しされた。

 

 当日行つてみると、席と席の間隔がまるで抜け落ちた乳歯のやうにズレてゐて、そのあひだには病院のやうな透明のアクリル板が立つてゐる。

 

 やはり、コロナ禍の前と後とでは生活の細部がこれだけ変化したのかと、改めてパンデミックの恐ろしさを感じる。

 

 私たちの生活のなかの様々な常識やスタイルも、この二、三年のあひだにかなり変はつてきてゐるのか。

 

 いつもワインを飲みに行く店の入つてゐる結婚式場では、かつてのやうに百人を超えるやうな披露宴や派手な歌舞音曲はほとんど姿を消したといふし、最近は恩ある先輩や知人が亡くなつても、遺族の方から「葬儀等は身内だけで済ませましたので」と言はれてお線香を上げにもいけない。

 

 コロナ禍の前と後とで、私たちの生き方は変質を余儀なくされてゐるらしい。

 

 会合の最中、メンバーの一人の80女がぼくの席に近寄つてきた。

 

 「けふ、わたしがここに参加したことはAさんには内緒にしておいてくれますか」

 

 Aはかつてこの会の中枢メンバーだつたが、ある日、政治的な話から論争が始まり、とくに少々偏頗な者同士のAと彼女が、ヒステリックな口喧嘩になつた。

 

 以後、Aはこの会に出て来なくなり、独自に数人に声をかけて別の飲み会を持つやうになつた。

 

 ぼくがこの会を連絡するメールを出したのとほぼ同じころ、Aから80女に連絡があり、数年ぶりにAの飲み会を開くといふ誘ひだつた。

 

 彼女は体よくそれを断つたので、けふこちらに参加したことは伏せておいてといふわけだ。

 

 人間社会ではどこにもよくある「好き嫌ひ」の話である。

 

 私たちの生活スタイルは変質を余儀なくされても、人間には変はらない「棒の如きもの」があるのを感じてホッとした。