確定申告の季節になると、むしやうに寿司が食べたくなる。

 

もちろんこの時季、寿司がうまいといふこともあるけれど、ぼくの場合、もつと生理的に確定申告と寿司がつながつてゐる。

 

一介のサラリーマンにどうして確定申告が必要になのかといへば、政治記者だつた三十代の後半、中央官庁で定期購読されてゐる『官界』といふ業界誌の編集者と親しくなつて、その雑誌に政治小説を連載することになつた。

 

4年間、2本つづいた。1本目は政界を泳ぐ若い女性政治記者のフィクション物、2本目は担当だつた中曽根康弘氏が自民党幹事長から総理大臣になるまでを「王道の孤独」といふタイトルで2年間連載、単行本にもなつた。

 

無名作家だし、小さな出版社だから連載の原稿料は安いものの、月刊誌は毎月原稿料が発生するので、一年だとまあまあの金額になる。

 

新聞社からの給与とは別収入だから、確定申告をしなければならない。

 

しかし、確定申告はどうやればいいのか皆目わからなかつた。たまたま文学関係の友人に税理士がゐたので相談すると、「確定申告すれば還付金がもらへるかもしれませんよ」と言ふ。

 

「還付金つて?」

 

耳慣れないことばに戸惑ふ。

 

「毎月の原稿料からは源泉徴収といふ税金が一割天引きされてゐるのです。確定申告すれば少し戻つて来るかもしれません」

 

小説の取材に要した交通費や本代や交際費などを「必要経費」として計上すると、源泉徴収の一部が還付されるのだといふ。

 

「でも、確定申告つて面倒なんぢやないの」

 

「簡単ですよ。必要経費の領収書さへきちんと保存しておけば、一時間もかからないでできます。私でよければやりますよ」

 

以来、連載中は毎年、1月末から2月初めにかけて、彼の仕事がをはる夜の九時過ぎに待ち合はせご厄介になった。

 

場所は内幸町の日比谷公園の向ひにある日本プレスセンタービル。この中に新聞社が各社1室、昼夜使へる小部屋を持つてゐる。

 

ビルの正面玄関で彼と落ち合ひ、守衛室で身分証明書をみせて鍵を受けとり、小部屋に入る。

 

ぼくはわくわくしながら必要経費の領収書をならべ、彼が手際よく整理して申告書に記入する。

 

「これ、赤坂のワインバーの領収書だけど、大丈夫かな」

 

ぼくは一枚の領収書をおづおづと差し出す。

 

「誰と飲んだのですか。何らかの意味で小説の執筆と関連があれば使へます」

 

「よく覚えてゐないのだけれど、何らかの意味で関係はあると思ふな。いや、あります」

 

さうか、この程度の厳密さでいいのか。一円、十円を問題にするわけぢやないのね、とほつとする。

 

さうだよな、そんな細かいことまで税務署がいちいち目を光らせたらキリがないし、確定申告といふ制度自体、国民の納税意識を高めるのが主眼だらう。

 

「――ぢやあ、行きますか」

 

渡された確定申告書をながめながら、ぼくはいつもの四谷三丁目の寿司屋に彼を誘ふ。

 

申告書には、左側に「収入金額等」「所得金額」「所得から差し引かれる金額」、右側に「税金の計算」「源泉徴収税額」などの項目があり、「税金の計算」の一番下段に「還付される税金」といふ△印の付いた欄がある。

 

見ると、お礼に寿司屋をおごつても十分おつりがくる金額だ。

 

「ぼくは最初、コハダをつまみで」

 

全部税理士任せながらともかく今年も確定申告の作業ををへ、ふたりで熱燗で乾杯をして、カウンターの中のおやじにネタの注文を始めるときくらゐ心やすらぐものはなかつた。