新型コロナウイルス(covid-19)の蔓延で、町にはマスクをした人があふれてゐるが、ぼくは散歩をするにもバーへ行くにもマスクをしたことがない。
「流行遅れですねえ。いまはマスクで顔を半分隠すのがファッションなんですよ」
ワインレストランの店長にさう言はれた。
「をかしなファッションだなあ。何も悪いことをしてゐなかつたら、顔を隠す必要はないぢやないの」
とぼくは言ひ返す。
「いや、必要とかではなくて、それが一つの流行なんですよ。ノ―マスクで町を歩いて恥づかしくないですか」
「棺桶の中の遺体ぢやあるまいし、あんな不格好な白い布を顔にかぶせるなんて、その方がよつぽど恥づかしいよ。第一、マスクをしてゐたらワインも飲めない」
店長はファッション説を引つ込めて、
「でも、いまどきマスクをしないなんて勇敢ですねえ。マスクをしないで電車に乗るの、怖くないですか」
と「ノーマスク勇敢説」に転じ、
「注意してくださいよ。こんどのウイルスは、高齢者ほど重症化するさうですから」
と余計なことを一言加へたので、ぼくは不機嫌になつてこの話題をやめた。
ぼくがマスクをしないのは勇敢とは関係ない。ただ面倒だからだ。
先日、知人の小学校の先生からこんな話を聞いた。
彼が担任するクラスに、父親が日中貿易の仕事をしてゐる子供がゐる。その母親が絵に描いたやうな美人の中国人で、父兄会の授業参観でも、彼女の芸能人ばりの容姿とカタコトの日本語が注目の的になる。
一週間前の朝のクラス会で、学級委員の男子児童がいきなり立ち上がり、「これはクラス全員の話し合ひで決まつたことです」と一枚の文書を読み上げた。担任教師には何の相談もなかつた。
文書の内容は、「中国の新型コロナウイルスの騒動をみんな不安に感じてゐるので」、中国人の母親とその子供に対して「感染してゐないかどうか」保健所で検査してもらつて欲しいといふ「クラス一同の要求」だつた。
中国人を母親に持つ同級生へのいぢめである。
彼はこのことを校長、教頭に報告、職員会議でも話題になつたが、「当面は様子を見る」ことで落ち着いた。
「私が残念に思ふのは、子供たちがさういふことをみんなでひそかに話し合つて、突然、学級委員会で発表したことです。昔なら、最初に何かを主張したい子供が、ひとりで職員室にやつて来て、担任に直接要求したものです。いま、さういふ勇敢な子供がゐません。みんなで話し合つたこと、みんなで決めたことと、二言めには『みんな』へ逃げる。あいつがいぢめをしたと言はれるのがイヤで、責任を『みんな』の所為(せゐ)にしようとするのです」
「それが民主主義なんですね」
とぼくは彼に同調した。
「さうなんです。一人で主張したり行動したりすると、結局、ソンをする。ソンをするどころか、一人で勇敢な行動をすると、『あいつもバカだなあ』と笑ひの対象にされて、仲間外れにされてしまふのです」
つまり、勇敢といふ、人としての一つの美徳が、民主主義の世の中では単なる滑稽になつてしまふといふことらしい。
