後ろからぼくを大声で呼ぶ女性の声がする。ランチの会食に出かけた東銀座の裏通り。
こんなところで知人と会ふとは、と思つてふり向くと、見知らぬ男女五人がたむろしてゐる。春節休暇で日本を訪れた中国人観光客らしい。
ぼくの名前が呼ばれたのではなかつた。
彼らの中のひとりの女性が発した声が、普通の通行人の音量ではなく、ペットの犬や猫をあわてて呼び寄せるやうな、明らかに誰かの注意を引かうとする甲高い声だつたので、名前を呼ばれたのかと勘違ひした。
ぼくは立ち止まつて、彼らをやり過ごした。グループの一人が銀座の店案内の地図を持つてゐる。
どうやら食事をする店を物色してゐるうちに、歌舞伎座の前のほうまでやつて来てしまつたやうだ。
ぼくの前を通り過ぎるときも、男女は左右の店の看板をきよろきよろしながら、まるで口喧嘩みたいな怒鳴り合ひをつづけた。
何を言つてゐるのかは分からない。もしかしたら口喧嘩ではなくて、
「やはり、中華料理にしませうか」
「いや、折角日本に来たのだから、日本料理の方がいいんぢやない」
「でも、けふはホテルの夜の食事が『和食』の予定ぢやなかつたつけ」
「ねえ、日本のラーメン、食べてみたくない?」
なんていふ、ごく日常的な会話なのかもしれない。
といふのも、みんな声が大きい割には表情は和んでゐるし、中には笑ひながら大声を出す女性もゐる。
怒鳴ると怒りが表情にあらはれて、すぐ敵対的な顔になつたりする日本人とは体質がちがふのだ。普通の顔をして、尋常でない大声を出す。
しかし、中国人ばかりではない。最近は日本人も大きな声で話をする人が多くなつた気がする。なぜかうなつたか。
ひとつには、テレビの影響が大きいと思ふ。
テレビに登場する芸能人やアナウンサーは、みな競つて大きな声を出す。滑舌(かつぜつ)を明瞭にしなければならないからさうなるのか、「かむ」のを避けるためにさうするのか知らないが、テレビに出ると、だれもが日ごろの会話ではありえないやうな声量で話をする。
笑ひを取つて目立ちたい無名のタレントや、たまにしかテレビ出演のない「〇〇問題にお詳しい」大学教授や評論家、さらには選挙区の有権者向けに名を売りたい政治家……彼らがテレビでついつい大声を出したくなる気持ちは分からないでもないけれど、もう十分売れつ子である俳優や有名芸人、仕事で毎日顔を出す局アナまでが、どうしてあんなに大きな声を出して自己アピールをするのか分からない。
下品な大声は現代病の一つではないか。
大きな声で交はされる話は、大体ろくでもない事柄である。
人は本当に大切なことは大声では話さない。機密情報や本心は、みんなそつと小声で相手に告げる。
友人の深刻なうわさ話も、会社の人事も、国の重要法案も、最初はささやき声で始まる。
さて、潜伏期間が長く、症状の出ない保菌者もゐる、厄介な新型コロナウイルス問題。先ごろまで柄に似合はず羽振りの良かつた、やたら話し声の大きな方々は、どうか当分、日本には来ないで欲しいな。
これこそ大きな声ぢや言へないけれど。
