先日の台風15号(東京湾台風)では、生まれて初めて台風といふものに生理的な恐怖を感じました。

 

いつも床に就く午前1時ごろにはすでに異変は始まつてゐて、ガラス窓の外側の蛇腹の雨戸に吹き付ける雨が、ドラムスのスティックがシンバルを打ち鳴らすやうな、一音一音粒立つた金属音を立て、眠るどころの話ではありません。

 

 午前3時ごろになると、数秒ごとに、怒つた風雨が束になつて横なぐりに雨戸にぶち当たり、これから押し入らうする強盗団がハンマーでドアを叩いて威迫するやうな感じです。

 

ラヂオは台風が横浜の沖から東京湾を横断してゐると告げてゐます。

 

実生の苗から三十五年、二階の屋根より高くまで枝を張る枝垂桜が根こそぎ倒れてはと起き出して点検すると、上枝だけは歌舞伎の毛振りのやうに闇夜に泳いでゐるものの、太い幹は寸毫も揺らいでゐません。やつとうとうとしたのは朝の5時過ぎでした。

 

 関東平野に生まれ育ち、台風といへばふだんは沖縄とか九州とか、いづれにしても「遠いところの出来事」だつたのですが、今回ばかりは台風常襲地帯にお住ひの方の心労が少し分かる気がしました。

 

 そこでふと思つたのは、ぼくの中では、台風と、いよいよ来年に迫つた東京オリンピックがよく似てゐるといふことです。

 

 1964年、前回の東京オリンピックのとき、ぼくは大学3年生で、大学の体育館がフェンシング会場となるために、大会期間中は全学休講となり、九州一周の旅に出ました。

 

 休みが半月もあるのに国内旅行といふのが昭和30年代らしく、当時、まあまあのクラスの旅館が一泊二食付きで1500円ほど。家庭教師のバイトで貯めた金で十分足りました。

 

 東京にゐてオリンピックを見ようなどとは一切考へませんでした。

 

来年の大会もさうです。いちいち観に行かなくても、日本が強い競技はテレビが繰り返し伝へてくれますから、夏の真つ盛り、競技会場まで出かけようなどとは思ひません。

 

オリンピックといふのは、ぼくには所詮「遠いところの出来事」なのです。

 

さういへば、子供のころから学校の運動会が大嫌ひでした。

 

体操の授業で強制される入場行進やスクエアダンスの練習は仕方ないからやつたものの、運動会当日は、「扁桃腺が腫れて熱が出た」「親戚に不幸ができた」などと、適当な理由を付けて欠席しました。

 

来年の大会期間中はどうしようかと今から思案してゐます。

 

もしや来年も、こんどの東京湾台風クラスの「コンパクトながら強い台風」がやつてきたらどうなるのだらう、などと非国民的なことまで想像したりして。