手先も不器用なら力もない。
小学校では鉄棒の逆上がりもできなかつたくらゐだから、大人になつても特別ヒトサマに見せられる特技などないのだけれど、親しい人の集まりとか飲み屋で少々酒が回ると、ときどきやりたくなることがある。
ワインの抜栓である。
昔は手帳に、その日に栓を抜いたワインの数を記録してゐた。飲んだワインの数ではない。自分の手で栓を抜いたワインの本数である。
二人や三人で4本飲んだとすれば、「抜栓数」は「4」だから、当然、ぼくひとりが飲んだ本数より多くなる。
それでも50代のころ、その数字が年間400を超え、こんな記録をとつてゐると飲み過ぎるなと恐ろしくなつて、本数をメモするのをやめた。
そのころ、ボディーが水牛の角のソムリエナイフを、いつもスーツの内ポケットに忍ばせてゐた。
その後、ボディーは煙草のパイプにも用ゐるブライヤー(薔薇の根)、黄色い柘植、赤い桜などと移り、いまは箪笥でおなじみの黒檀のナイフを愛用してゐる。
まづ、ナイフの刃を出して、ワインの瓶を左手に持ち、コルクを包んでゐるシールを右から左からと(帝国ホテル流、ホテル・オークラ流など店によつて流儀が異なる)手早く切り落とす。
次に、寝てゐるネヂを立て、先端をコルクの中心に真つ直ぐ(最初に曲がつて刺さると、コルクが途中で折れたりする)に突き立てる。ネヂを回転させながらコルクに押し込む。
最後は、ナイフの袖にある金具を起こし、ワインの口に引つ掛け(これをいい加減にやると、引き上げるとき怪我をする)、梃(てこ)の応用でゆるやかに引き上げていく。
この作業を30秒程度で行ふ。ふつうはテーブル上でやるが、手慣れたボーイは一連の工程をすべて空中で行つて、一種のショーに仕立て上げたりする。
何年か前、出張先のパリのシャルル・ド・ゴール空港で、スイスへの乗り継ぎに1時間ほど間が空いたことがあつた。
ロビーの隅にあるワインコーナーの列に並ぶ。カウンターの中では、若い女性が客の注文を聞いてから、ハーフサイズのワインを1本1本抜栓してゐる。
さすがパリの空港で、ハーフサイズでも本物のコルクを使つたワインだ。
しかし、1本づつ抜栓してゐて客の列がさばけるのだらうか、と案じてゐると、その黒人女性は実に手慣れてゐて、1つの栓をお茶の子さいさいと10秒もかけずに抜く。
シールを切るのに2秒、ネヂをコルクに突き刺すのに2秒、コルクを引き抜くのに2秒程度。客がコインを用意する間にはハーフ瓶が突き出される。
動きにやや乱暴なきらひはあつたが、ぼくはそれを見て、最近の大工さんが使ふ電動釘打ち機を思ひ浮かべた。
昔の大工さんは、釘を打つ前に夥しい数の釘を口に含み、右手に持つたトンカチでひとつ打ちをへると、左手を口に運んですばやく次の釘を1本取り出し、所定の位置に立てて、またトンカチを振り下ろしてゐたが、今は電動釘打ち機でバシッ、バシッと何本でも連続して打ち込める。
あれなら「一人前の大工になるまでに修業何年」が要らない。
ぼくがひそかに自慢してゐる抜栓のワザは、パリの空港の女性の前では、釘を口に含んだ昔の大工さんと、バシッ、バシッの電動釘打ち機ほどの違ひがあつた。
だが、その結果はワインの味にも釘打ちの出来にも大差はないだらう。ワザは見えない。
