音響担当の細身の若者二人が、店の入口の左右に脚付きのスピーカーを設置、マイクを握つて店内をあちこち走り回つては、「テス、テス」と高音あるいは低音でささやく。

やがて白いブレザーを着た初老の男がピアノを弾き始めた。シャンソン風な調べで、BGMとして聴くなら心地よい。

 いつ来たのか、その脇に貧相な顔をした中年女がマイクを持つて立つてゐる。

ぼくと友人の医者はおしやべりを続けてゐた。

週に一度ほど、ここで飲むことが習慣となつた、小、中、高校まで同じ学校の幼なじみで、75歳の今も彼は週2日診察に出てゐる。

そのとき、小太りの老女がにこやかにぼくたちのテーブルに近寄つて来た。

そのワインレストランは土地では老舗の結婚披露宴会場の2階にあり、彼女はその会社の社長だ。

「済みませんね。今日はちよつとうるさくて」

女社長はリハーサルが始まる頃合ひをみて、毎日「5卓」でワインを飲んでゐるぼくに仁義を切りに来たらしい。

店にはぼくたちのほかに客はゐない。ぼくはワイン3杯目でほろ酔ひ加減だつた。

現役医師と元新聞記者はいつも結構まじめな話をする。

その日は、ことしが明治維新から150年で、ぼくたちが生きてきたのは、ちやうどその2分の1の時間に当たるけれど、戦後の昭和、平成のこの時間は、後世、どんな時代だつたと概括されるのだらうか、といふ話になつた。

大戦の悲劇と、そのあとの虚脱がもたらした束の間の退屈な時代――江戸時代の平安とも、明治の後の大正ロマンとも異なる、「混沌とした退屈」とでも評すべき70余年かななどと、ぼくたちはリハ中のピアノ演奏やマイクの歌声に負けじと、ほとんど怒鳴り声で会話を交はしてゐた。

次の一瞬、何が始まつたのか分からなかつた。

白髪のピアニストが突如、鍵盤を怒り狂つたやうに打ち鳴らし始め、それに呼応して、頬のこけた中年女性がマイクにかぶりついてヒステリックに喉を絞りあげる。音響担当はマイクのボリュームを最大限に引き上げた。

「ウルサイ!」
たまたま席の横にきてゐた女性歌手に向かつて、ぼくは大声を上げた。

彼らがそのとき演出した突然の大音響は、ぼくには本能的な恐怖をよぶ以外の何物でもなく、ぼくの怒声は理性も体面も忘れた、一種緊急避難的な条件反射だつた。

「ウルサイ! 話ができないぢやないか!」
歌手は立ちすくみ、歌ふのをやめた。

売れないシャンソン歌手の年の功かと感じたのは、ぼくの怒鳴り声に対して、彼女が「何かお好きなシャンソンはございますか」と微笑んできたときである。

「ろくでなし!」ぼくはこんども条件反射的にさう答へた。

「お好きなシャンソンは」と問はれて何も答へないのもみつともないし、実は『ろくでなし』は昔からカラオケの18番だつた。

ピアノはすぐに『ろくでなし』の出だし、これも鍵盤を一音一音激しく叩くリズムを打ち始めた。

「古いこの酒場で、たくさん飲んだから……」

女性歌手が両手をひろげて、一緒に歌つてといふ仕草をする。

マイクのないぼくは、歌手の声量に負けないやうに、思ひきり大声を張り上げる。

「……なんてヒドイ! ア、ウィ! 言ひ方――」

最後まで女性歌手と合唱した。

「あんなに怒つたあとで、よく一緒に歌へるなあ」

温柔な医者はぼくの豹変にびつくりしてゐたが、大声を出したことで、ぼくはややすつきりした。

「これも『混沌とした退屈』な時代に覚えた、退屈の凌ぎ方かな」
ぼくは照れ隠しに笑つた。