地下鉄からJRに乗り換へるためにエスカレーターを上がると、目の前に赤い公衆電話が並んでゐた。携帯やスマホなどないころの話である。
 
終電までには余裕があつた。少々飲み過ぎてゐたせゐか、ふとある人に電話をかけたくなり、公衆電話の前まで行つて受話器をもちあげた。
 
甘口のチョコみたいに軽薄な、しかしそれだけ親しみを覚える色の十円玉を、念のため三つ投入する。
 
いくら酔つぱらつてゐても、その番号だけはお経のやうに諳んじてゐた。局番は馴染みの四つの数字だし、電話番号は3857。
 
番号をプッシュし終はつて、数秒待つ。数秒が数十秒になつても反応がない。
 
錆びついた十円玉が古い電話機の途中に引つかかつたのかと、手で電話機をゆすつてからもう一度3857を押すが、相変はらず何の音もしない。
 
酒の酔ひのために、完璧に記憶してゐるはずの3857が間違つてゐるのか。
 
さういへば、3785だつたかもしれないなと、硬貨を入れ直して、こんどは同じ局番の3785を押す。また無音である。
 
さうだよな、あれだけ暗記してゐた番号だから間違へるはずはない。ふたたび3857を試し、やはり呼び出し音も鳴らないので、こんどはもしやと3578、次には、念のために3758。
 
結果は同じで、まるで通じない。
電話の相手とは、いまやその電話番号だけでつながつてゐる。
 
最後に会つたとき、「お金も無くなつてきたから、近々、千石のマンションを引き払つて、生まれ故郷の湯河原の安アパートにでも引きこもらうかしら」と笑つてゐたが、引つ越したかどうかも、新しい電話番号も連絡はない。
 
3857で通じなければ、その相手とは永遠に切れたも同然だ。
ただの電話番号だが、それが完璧に通用しないとなると、なにか大きなものを喪つた気がした。
 
人生の一部分がもがれたやうな、暗い、空疎な思ひがした。――そこで目が覚めた。
 
2月の初め、義兄が94歳、老衰で死んだ。
 
ぼくとは親子ほども歳が離れてゐるので一献傾けることもなかつたが、小学生のころ、一緒に風呂に入つて体を洗ふ手順を教へてもらつたり、二十歳のころには公道で車の運転を教授してもらつた。
 
葬式から十日ほど経つて、同じ敷地内に住む姉と顔を合はせた。
 
「寂しくなつたね」
言葉を探しやうもなく、さう言ふと、
「寂しくなんかないわ」
と姉は、末つ子に対して長姉のプライドを見せた。長い間、茶道裏千家の厳格な師匠として多くの弟子を育ててきた。
 
「あの人とはいまでも毎日、話をしてゐるもの」
連れ合ひを失つたショックで、認知症を発症したのかと疑つた。
 
この姉は前に、アドレスとストレスを取り違へて、「あなたのストレスを教へて」とぼくに尋ねたことがあつた。
 
「毎日話すつて、どうやつて?」
「電話で」
「あの世と通じる電話番号があるの?」
「そりやあ、夫婦ですもの。けど、あんたには教へない」
 
これも大事な電話番号なのだらう。