「ねえ、あなたのストレス、教へてくれる?」
一回りも年の離れた上の姉から聞かれたことがある。いかにも安穏な、ストレスとは縁遠い顔をした末つ子だから気になるのか。
「ストレス? ないよ」
「あら、意外。あなた、よくそれで長い間マスコミの仕事なんかやれたわねえ」
「マスコミの仕事とストレスは関係ない」
「だつて、メールのやり取りなんかしなかつたの」
どうも話の様子がをかしい。
「わたしはこの夏、子供にスマホを買つてもらつてから、あちこちメールするのが秘かな趣味になつたの」
やつと事情がつかめた。「ストレス」は、「アドレス」の間違ひなのである。
小池百合子氏の「希望の党」結党宣言の記者会見を見ながら、この話を思ひ出した。
小池氏は都知事選でその発言が注目されるやうになつた頃から、しきりに外国語をひけらかす。
結党宣言の会見でも「シナジー効果」だとか、「日本をリセット」だとか、果ては「アウフヘーベン」などと言ひ出し、記者が首をかしげると、「内容は辞書で調べてください」と笑つた。
自分の語彙で巧みに表現できない事態に出会ふと、外国語に逃げる。
討論してゐて論理に詰まると、授業で覚えたばかりの外国語の術語をこれみよがしに持ち出して相手を煙に巻く青白い大学生みたいで、65歳にしては若づくりのファッションともども、少々イタイ。
いふまでもなく、政治とは政策の立案から立法、採決、行政まで、要は「ことば」による作業である。
持てる「ことば」を駆使して国民に問ひかけ、説明し、納得と支持を得なければ、政治は進まない。
「希望の党」といふ党名も綱領も、遥か遠くの、茫漠とした夕焼けを眺めるやうで、その輪郭が見えないだけに美しく、夢に満ちてゐる。
しかし、日本語の「希望」には、希望すれば――失望するとき――絶望する、といふ下三段活用があることをご存じだらうか。
