母親が病弱でしたので、お医者さんにはずいぶんお世話になりました。
胆石の痛みに悲痛な叫びをあげて嘔吐を繰り返す母親のところへ、往診をたのんだ医者がタクシーを足早に降りて部屋に駆け込んむと、数分もしないうちに病人はおとなしくなります。
隣部屋で聞き耳を立てる小学生には、老医師が魔法使ひの天使のやうに思へました。
いま、往診をいやがる医師が多いといひます。通院できないお年寄りや重病人に対して、近くの開業医が家庭訪問して治療する「往診」は、国が推進するホームドクター制度の一つの柱のはずですが、これを敬遠する医者が増えてゐるといふのです。
その理由が面白い。多忙といふ事情もあるけれど、実は患者の家庭に行つて診療したのでは、医者の「威厳」が保てないといふのが本音ださうです。
自分の病院や診療所で、白衣を着け、豪壮な木製の回転イスに腰かけて、自分の看護師をうしろに従へ、「はい、次の患者さん」と呼びかけるのでなければ、医師としての権威が示せないのだとか。
「うん、それはないとは言へない」
と親しい医者が告白します。
「私服で患者さんの家へ行つて、日常生活の匂ひが染みついた部屋で患者さんと向ひ合ふと、なんとなく医者と患者の関係ではなくなつて、こちらがただのお客さんつて感じになるんだよ」
「へえ、そんなものかな」
「それにね、白衣を脱いで患者に接すると、こちらの正体を見破られるやうな、をかしな気分になる」
似たやうな思ひをしたことがあります。仕事で角さんの総理番をしてゐたとき、週末、越後へ里帰りするのに各社の番記者が同行したことがありました。
新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現柏崎市)の実家の前には広大な溜池があつて、角さんは子供のころその池でよく遊んださうです。
総理大臣の久しぶりの帰郷といふことで、夜になつて近在からたくさんの支援者が集まつてきて大宴会になりました。
角さんは元農家を改造した家の部屋から部屋を、銀座の売れつ子ママのやうに転々として客をもてなします。
病気をする前の角さんは、ウイスキーのロックをがぶ飲みしました。ネクタイを外してシャツ一枚になり、真つ赤な顔で酔客の間を酌してまはる初老の男には、首相官邸で日々見かける総理大臣の面影はありません。これがこの人の正体かと思ひました。
いつもの角さんの、高等小学校卒が霞ヶ関の東大法卒を巧みに顎でつかふ姿は、日本の政治制度が生んだ一つのフィクションであつて、この人はもともとかういふ環境で、かういふ顔をして、近所の寄り合ひで笑ひ語つてゐるのが自然なのではないか。
その仮装と正体のギャップが、つひにはロッキード事件のやうな騒動に巻き込まれ、長いこと病み、決して幸せとは言へない最期を送ることになつたゆゑんではないか。
アメリカの次期大統領に決まつたトランプ氏も、俊邁な経営者である正体をさらして生きてきたこれまでの人生はよかつたけれど、七十歳にもなつて権力欲、名誉欲に犯され、慣れないホワイトハウスに入り、独断と独裁の正体をあざむいて、妥協と欺瞞で過ごす生活の果てに、角さんと同じ運命が待つてゐないとは限りません。
