忘年会の話がくる季節になつた。もともとが暇な身、会場や日取りは幹事に任せるとして、時に相談されるのが会費の問題で、とくに酒を飲む男性と飲まない女性の間に差をつけるかどうかである。
 
 この話が持ちあがるたびに、ぼくは二人の男性のことを思ひ浮かべる。ぼくの周辺で”唯二の”例外ともいふべきか、どちらも一滴も酒が飲めない。
 
 ひとりは某通信社の政治記者で、フランス特派員を長年つとめた東大卒の男だが、一緒に食事しても、ワインを飲むぼくの前でオレンジジュースを飲む。会計はもちろん割り勘。それでも40年も付き合ひが続くのだから、男と男をつなぐのは酒だけではない。
 
 深夜、自民党の幹事長の自宅に記者たちが集まる。俗にいふ「夜討ち」で、宴席から帰宅する幹事長を待ちかまへて、その時点の微妙な問題を聞き出さうとする。
 
 幹事長は当然酔つてゐる。思はず口がすべつて、まだ政府与党内でも機密扱ひの情報を漏らすこともないとはいへない。記者はそれを期待して、毎晩九時過ぎになると幹事長宅の応接間に押しかける。
 
 そこには、たぶん頂き物の、極上のブランデーやウイスキーがならぶ。記者たちを酔はせてしまへば、失言しても忘れるだらうし、「お互ひ酔つ払つてゐて、よく覚えてゐない」と後でとぼけることもできるといふ幹事長の策略だ。この酒が目的で訪れるテレビ局などの記者もゐないわけではないけれど。
 
 懇談がをはり、記者たちは幹事長の家を出て、会社に戻るためハイヤーに乗り込む前に、輪になつて「メモ合はせ」を行ふ。みんなの記憶を総動員して、幹事長との一問一答のメモを作り上げる。「夜討ち」の成果である。
 
 ここで活躍するのが、この某通信社の記者。酒を飲んでゐないから、その場の遣り取りを克明に覚えてゐる。
 
 「内閣改造は、の質問には、答へをぼやかしてゐたけど、何て表現だつけ」
 ある社の男が、酔ひのまはつた目で言ふ。
 
 「『総理は全く頭にないやうだけれど、党内にはそろそろと期待する声がないとは言へない』と言つた後で、『かな』を付け加へて意味深に笑つた。幹事長のところには、さういふ声がかなり届いてゐるといふことだね」
 
 もう一人の「飲まない男」は、同じ会社の社会部出身の先輩で、酒は受け付けないが酒席は人一倍好き。店の人が見れば、飲んでゐる男より沢山飲んだ風に見える。
 
 自宅が同じ方向なので、会社の「送り」の車で帰るのは一緒になることが多かつた。「先輩のお宅から先にどうぞ」と遠慮するが、「いや、キミからでいい」と言つて、運転手に勝手にわが家の所在地を告げる。
 
 ぼくは慌てて、「いつもの先輩と寄る」と自宅に電話する。到着して、ふつうなら「どうですか、ビールでも」といふところを、「お茶でも一杯」と勧める。先輩は決して断らない。
 
 家人はお茶と羊羹などを用意してゐる。無類の話好きだから、社会部時代の過激派事件の取材談や警視庁幹部の噂、同僚の変人の話などで家人を爆笑させ、ふたたび車に乗るのはたいがい午前二時ごろになる。
 
 「お酒を一滴も飲まないであれだけしやべれるのつて、スゴイ特技ね。あの話術に相手も騙されて、秘密を漏らしたりするのでせうね」
 
 特ダネをいくつも取り、社長賞を獲得したりして、最後は系列スポーツ紙の社長をつとめた。
 
 この二人を思ひ出すたびに、ぼくももし酒が一滴も飲めなかつたら人生はずいぶん変はつてゐただらうし、進路も別だつたかもしれないし、預金通帳の残額も変はつてゐただらうと思ふ。
 
 しかし、毎日、一瞬たりとも酒の酔ひに身を任せることがない生活といふのはどういふものだらう。朝から晩まで正常な知覚と判断力を維持し、つねに覚醒してゐるといふのはどういふ感覚なのだらう。
 
 羨ましい気持ちが半分に、気の毒な気持ちも半分といふところか。
 やはり、忘年会の会費は男女を問はずに、「飲まない人間」には割安にしないといけないな。