会合場所の店をさがしながら、神楽坂の料亭街の細い裏道をあるいてゐると、一目でそれとわかる異様な服装の中年男が前からやつて来る。
真つ赤なコットンパンツに緑色のブレザーを着て、何のおまじなひか、前髪からリボンのやうな黄色い布を垂らしてゐる。まるで交通信号が歩いてゐるやうだ。
ファッションに関してぼくはかなり寛容で、とくに近ごろの女性のやうに、色の組み合はせもデザインも、まさに「何でもアリ」の風潮について、特段目くじらを立てることはないのだけれど、こと男性の身なりに対しては知らずと危険予知能力がはたらく。
男の精神状況は、ほとんど着てゐるものにあらはれると確信してゐて、相手の服装を一見しただけで、要警戒レベルの男かどうか判断がつく。長年、永田町でドブネズミ・ルックに接してきたので、「異な身なり」を判定する基準はやや古風かもしれないが、それだけに奇異な格好には過敏である。
といつても、ぼく自身がふだん無難なファッションかといへば、必ずしもさうではない。黒いフェルトの中折れ帽をかぶつて、首にはこの春買つた極薄生地のピンクのストールを巻いてワインバーに行くと、女の子から「そのピンクはないわよ」などと遠慮のないことを言はれる。
中学生のころだつた。
ことしは戦後七十年だが、当時はまだ戦後十年ちよつと、食糧も十分ではなく、町を行く人の心も服装も暗欝な空気だつたのに、どういふわけかぼくが通ふ中学校の男子生徒の間に、突如、ナイロン製の水色のジャンパーが流行り出した。
男子はみんな仲間意識を確認するやうに、「ナイジャン」と呼ばれた水色のジャンパーを着て通学する。流行がクラスの男子全員に及ぶのをみて、母親に「みんなと同じ、水色のナイジャンを買つて」と頼んだ。
「みんなが着てるからつて、みんなと同じ物を着て何が面白いの。あなたはあなたの服装でいいの」
警察官の妻といふ立場にしては自分の嗜好、意見をもつた母親だつた。着る物についても凝り性で、年に何度か町の老舗の呉服屋を家によんでは季節のきものや帯を注文してゐた。
デパートに連れていかれたぼくは、ウール地のジャンパーをいくつか試着させられ、最後に、白地に薄茶の太い横線が入つたオシャレなジャンパーを買つてもらつた。
それを着て中学に行くと、ナイジャンの集団がぼくを遠ざけた。社会人になつてからも、目立たないところで他人と異なるファッションを身につけることが趣味になつたのは、この母親の影響が大きいのだらう。
写真コラムを連載してもらつてゐたデザイナーの森英恵さんに、表参道にある森さん経営のフレンチでご馳走になつたとき、「いいスーツを着てらつしやるわね」とお世辞を言はれた。
テーラーの名を言ふと、「あら、贅沢。失礼だけど、新聞記者さんでそんなのを着てる方、初めて見たわ」と笑はれた。「気付いてもらつたの、初めてです」とぼくも笑つた。
路地を近づいてくる赤いコットンパンツの男に、ぼくは立ち止まつて道をあけた。男は挨拶もなく通り過ぎた。着てゐるもののせゐで、周りの人間に警戒心を抱かれてゐるなんて、男はまるで自覚してゐないやうだつた。ぼくがさう気づかないやうに。
