小学校3年生の孫が遊びにきて、家人と近くのスーパーへ出かけました。
帰つてくると、バアバがひとり興奮してゐます。
「ねえ、聞いて。弦哉つたら、美味しさうなケーキが並んでゐたから、『これ、どう?』つて聞いたら、『結構です』だつて。いつの間にか、あんなことが言へるやうになつたのね」
小3といへば昔は算数の「九九」を習ひ始めるころでしたが、今はテレビドラマやスマホの遣り取りなど、何かと刺激の多い世の中で、日々新鮮な言葉が耳に飛び込んでくるのでせう。新しい言葉を知るとすぐ遣つてみたくなる年頃です。
「孫に『結構です』なんて言はれて慌てちやつたわよ。どこでああいふ言ひ方を覚えるのかしら」
「大人の真似をしてみたかつたんぢやないの。ーーで、キミはなんて応じたの」
「それがね、『結構です』にびつくりしちやつて、思はず『さうですか』つて答へちやつたわよ」
脇で聞いてゐた人は、をかしなバアバと孫だと思つたことでせう。老女は誘拐犯と思はれたかもしれない。
今回の衆院選で野党が惨敗したのは、よくよく考へれば「言葉」の差ではないでせうか。
自民党には解散する前から「アベノミクス」といふ言葉がありましたが、野党側にはこれに対抗しうる言葉が最後まで出て来ませんでした。
「アベノミクス是か非か」が選挙の争点と言はれ、一方は「継続するしか手はない」と主張し、もう一方は「それではダメだ」と批判して選挙は終はりました。与党も野党も安倍首相の名を冠した「アベノミクス」といふ言葉をめぐつて論戦したのです。これでは野党は戦ふ前から負けてゐたやうなものです。
政治はまづ言葉です。「自分の言葉」で有権者に訴へなければアピールになりません。相手の用語を借用して、それをただ否定するだけでは魅力がない。相手の用語に対抗できるだけの、野党独自の「自分の言葉」が必要だつたのです。
そこにこそ、政治のロマンが生まれるのです。オバマ米大統領が初めて登場したときに使つた「チェンジ」「イエス、ウイ、キャン」を持ち出すまでもないでせう。
かつて小泉元首相は「郵政を変へればすべてが変はる」のキャッチフレーズで大勝しましたが、それが結果としてウソだつたやうに、言葉はそれだけでは空疎なものです。言葉が生むのはイメージだけだからです。
政治は言葉の次に、つまりイメージの次に、実像を加味しなければなりません。今回の自民党の大勝が、はたしてこれからどんな実像をむすぶのか。
家人はたぶん、「結構です」と大人びた言葉を遣つた孫がこれからどんな子供に育つていくのか、期待と不安でその実像を見つめることになるでせう。
