よく流れるニンニク薬剤のテレビCMがある。夕暮れらしい薄暗い平地にひらけたニンニク畑。ジーンズ姿の高倉健が登場して、例の鋭角的な頬骨のニヒルな顔で腰をおろし、目の前のしつとりとした真つ黒な畑土を右手でひとつかみして立ち上がると、茫漠たる畑をながめる。
 
 セリフもない。画面はほとんど色彩のない暗さである。健サンの表情と、ひとつかみの土だけで見せる。土の豊饒が薬効あらたかなニンニクを育てるといふ趣旨のナレーションがかぶさる。
 
 土には何かしら私たちの郷愁をよぶものがあるらしい。無限の豊かさと温かさを湛え、生きるものの生命力の根源がそこにあるかのやうなイメージがある。
 
 人の死を「土に還る」と表現したりするのも、さういふ心理のあらはれだらう。さう思ふことによって、死後の世界に対して慰藉をえる。本当は肉は焼かれ、骨が土に埋められるだけだ。
 
 ぼくは幼いころから泥とか土が嫌ひだつた。小学校のころからさうだつた。
 土は汚いし、虫もゐるし、どんな細菌が潜んでゐるか分からないし、見た目にも決して心地良いものではない。
 
 父親は仕事の合間に、庭先の二百坪ほどの畑地でトウモロコシ、ナス、トマト、キューリなどを作つてゐたが、一人息子はまるで手伝はなかつた。土に手を触れるのが怖かつた。
 
 最近、近くのイトーヨーカドーでは園芸コーナーを半分にして駐車場をひろげた。もう一つの園芸専門店では、芝刈り機などの器具や庭石、レンガ、鉢などを置いてゐたスペースを削つてマンションを建てた。
 
 しばらく前から園芸ブームのやうなことが言はれてきたが、不況が長引いて、このところ園芸品の売れ行きは落ちてゐるのだらうか。
 
 あるいはーー意外にも若い人のあひだに、ぼくのやうな「土嫌ひ」が広まつてゐるのだらうか。
 
 都会に住む人たちは、表向き「土に飢ゑてゐる」などと自然派を標榜しつつ、その実、子供のころからコンクリートに囲まれ土に親しんでゐないから、大人になつても土を遠ざけてゐるのか。
 
 手に一握り土をにぎるのは、八十歳を過ぎた健サンだからサマになるのかもしれない。