「薔薇の花」といふ文字を見ると、たをやかで優艶な花のすがたを思ひ浮かべますが、耳で「バラの花」と聞くと、バラ売りの花かバラバラの仏花のやうな、汚らしい花をイメージしてしまひます。
 
 生まれてこのかた、文字から頭の中に心象をゑがく作業には慣らされてきましたが、音(おん)から何かの像を心に結ぶのは苦手です。
 
 NHKラジオ第一放送の土曜朝8時5分から40分間、「NHKラジオ文芸館」といふ番組があります。職業作家の小説を、NHKのアナウンサーが交代で、抑揚のある会話に音響効果も入れて朗読するのです。朝の寝床でよく聴きます。
 
 ぼくはこれまで、小説といふのはあくまで活字で読むもので、もちろん音読すると独特の味は出るものの、音から入るイメージ喚起力は活字を介するそれよりは数倍数値の低い、貧寒なものと考へてゐました。
 
 活字から受ける感動は理性を通すだけに豊饒で、音から受ける感動は感性経由なので浅薄だと理解してゐました。
 
 しかし、「ラジオ文芸館」の小説を聴いてゐると、さうとも言へないかもと感じるやうになりました。世の中には「聴く小説」といふのもあるのかもしれないと考へ始めたのです。
 
 小説の中には、活字で読み取るのが適切な小説(もちろん、大半の小説はさうでせう)のほかに、音で感じるはうが向いてゐる小説もあるのかもしれないと。
 
 かつて大手の出版社が、たとへば「新潮カセットブック」などのやうに、一流作家の小説を一流のタレントに朗読してもらつて、そのテープを販売する商売に手を染めたことがあります。
 
 これは結局成功しませんでしたが、いま思ふのに、大出版社の矜持から、「一流作家」、「名作」に拘泥したために、取り上げられた小説が「聴く小説」としては不適切なものが多かつた気がします。
 
 やはり、過去の名作などは読者が「活字からその世界を空想する」タイプの小説が多かつたのです。
 
 「ラジオ文芸館」を聴いてゐると、そこに登場する小説はほとんどがビタビタのリアリズム小説ではなしに、そんなことあるの?といふやうな、茫漠として、最初から大きな白い雲の中に突入して行くやうな筋書きの小説です。
 
 つまり、さういふものこそが「聴く小説」にふさはしいのですね。
 耳から「音(おん)」として入り、感性、情趣に訴へてイメージを喚起するのは、活劇風なものとか情痴小説(まあ、NHKが朝からそんなものを流すはずもありませんが)は適さず、最近の文学界で流行りの、それホント?といふやうな幻想的で超現実なものが向くのでせう。
 
 文学の世界に新しく、「聴く小説」といふジャンルが誕生するのかもしれません。