「いま、ウチはスゴイことになつてゐます」
フレンチレストランの店長代理の女性が真顔で言ふ。
「ついに店長までやられちやつて。毎朝、けふは誰が休むだらうか、人手は足りるだらうかつて、みんなの顔がそろふまでは心配でーー」
ここへきて全国的には下火になつたインフルエンザに、今ごろ襲はれてゐるといふ。料理の盛り付けがやや時代遅れかと思つたら、盛り付けだけではなかつたらしい。
「先週はアラちやんまで39度の熱を出してダウンしました」
この店のマドンナである中国美人の愛称を出して、ぼくの顔色をうかがふ。ぼくが「アラちやん」に反応するかどうか試してゐるのだが、こちらもそれほどウブではない。
店員が次々とインフルエンザに罹つてゐると聞いて、しかし、ぼくは不愉快な気分にはならない。むしろ、この店は信用できる、とあらためて思ふ。
店員が、病気のうつるほど相互に密接な関係にあるといふのはいいことだ。
いまの世の中、とかく人と人が離れ過ぎてゐる。隣りに腰かけてゐる友人に対し、会話をしないでメールで意思を伝へる。雑踏で連れの人間を見失ふと、探さうともしないですぐ電話をかける。会へば事情は一瞬で分かり合へるのに、会ふのを避けて電話で済まさうとする。
町へ出れば几帳面にマスクをかける。ドアのノブはおそるおそる指二本でまはす。横に咳をする人がゐれば席を移る。家に帰れば、外での他人との接触の痕跡を消去しようとごしごし手を洗ふ。
どうしてもつと鈍感に、濃密な人間関係を持たうとしないのだらう。濃密な人間関係を大事にしようとしないのだらう。
インフルエンザくらゐ恐れることはない。それより他人との接触を恐れることのはうが失ふものが大きい。
インフルエンザの蔓延するフレンチレストランは、店員たちが飛沫感染するほどの距離に近づき、声を掛けあひ、協力して働いてゐるのだらう。相手がアラちやんでなくても、飛沫感染するほどの人間関係はうらやましい。
かういふ店なら、ヒネたワインは出さない気がする。料理の盛り付けは古臭くても、食材を偽装することはない気がする。
過度の衛生観念が人間関係を貧寒で狭隘なものにしてゐる。人間は衛生環境が悪くて滅びるよりも、行き過ぎた衛生環境で、内から人間関係が滅びていくのではないか。
不衛生で、猥雑で、雑菌に満ちた世の中でいい。第二次大戦直後のやうに、町に洟垂れ小僧やトラホームの子供がゐてもいい。感染を恐れることはない。人間はさういふ中で長い時間を生きてきたのだから。
