こんどの参院選はなんとも盛り上がらない。テレビの党首討論を見ても、みんな冷やかな顔をして、その場しのぎの、退屈なことばを繰り返してゐる。あれでは政治討論会ではなく、小学校の意見発表会だ。
 
 やる前から結果がうすうす分かつてゐるやうな選挙だし、目下、与野党が熱くなつて議論するだけのテーマがないといふこともある。「衆参ねぢれ現象の解消」にしても、「アベノミクスの功罪」にしても、あまり興味をよぶテーマではない。
 
 しかし、それ以上に、いまの与野党の党首たちには党首討論会を盛り上げることのできるタレントを持つた人材がゐない。
 
 一度党首になれたから、もう今回は負けて降板でもいいや、といふ充足感が、ふやけた目鼻にあらはな初老男。「正義はこちら、悪はあちら」と対句の論法しか知らない、消滅寸前の女性党首。まだまだ与党の傘の中を楽しませてもらひますといふ安穏顔。世の中、紅白歌合戦しかないのだから白がいやなら赤に、の「漁夫の利戦法」の元闘士。党名も知らなければ、男女どちらかも判然としない新顔党首。……
 
 けんかしたり論争したりするのは一種の才能である。田中角栄やハマコーさんのやうに訳の分からぬことを言ひながら、とりあへずその場を面白いけんかに仕立てあげてしまふ政治家が過去にはゐた。さういふ才能がゐなくなつた。
 
 と、突然ここで話を足元に移すと、ぼくもけんかの才のない男である。こどものころからけんかをした記憶がない。取つ組み合ひはもちろん、論争もほとんどしたことがない。
 
 ぼくが書いた署名記事に対して、政党機関紙や思想系新聞が一面コラムで「バカ記事」と批判したとき、ぼくの社のコラムで先輩記者が、「バカバカが十三回。語彙が乏し過ぎないか」などと軽く揶揄して擁護してくれたことがあるが、ぼく自身は何も反論しなかつた。
 
 けんかや論争を見たり読んだりするのは嫌ひではないけれど、自分がそこに絡まうとは思はない。不毛な論争にエネルギーを費やすくらゐならば、別のものを書く時間に充てたはうがいい。
 
 幼いころから母親に教へられたのは、「高く超越して」といふことばだつた。公務員の妻として、万事ことなかれ主義を貫いた女の人生訓だつたのだが、双方得るところの少ないけんかや論争を避けるには便利な自戒のことばだつた。
 
 しかし、政治家は人に見られてナンボの商売だ。けんか下手は向かない。