家の裏手にあるあぢさゐが、ガレージへまはり込む通路にはみ出してきた。ふだんあまり庭いぢリはしないのだが、通路をふさがれては困るので、植木ばさみを持ち出して征伐した。
毎年のことで、家内からは「花芽があつたのに、何でも切つちやふのだから」と嘆かれる。いざ始めてみると、植木ばさみの切れ味の峻烈さに酔ふやうに、つい横のモッコーバラやツツジにまで手が伸びる。ことし初めて汗をかいた。背中の下着に汗が滲みていくのが分かる。
実はぼくは、この「汗が皮膚をつたふ感覚」が好きではない。正直に言つてしまへば、汗を嫌悪する。
なぜだか分からないのだけれど、体が発汗したシグナルを受け取ると、心が落ち着かなくなる。汗みどろにでもならうものなら、理性を喪ふ。
夏の町を歩いてゐて、汗が背中や胸に流れ落ちるのを感知すると、きよろきよろする。商店でも銀行でも病院でもマンションでもいい。冷房のきいたところへ、とりあへず飛び込む。
見知らぬマンションのエントランスに立つてゐたりすると、出入りする住人から白い目を向けられる。用もないのに銀行のドアを押して入り、動かないでゐると、警備員から「どんなご用件で?」と追ひ出されることも少なくない。コンビニに逃げ込んで、店内を一周し、さらに一周して汗を鎮めてから出ることもよくある。
無断でどこへでも飛びこんで良いわけはないのだが、汗が噴き出した瞬間、ゐても立つてもゐられなくなる。衝動的に冷房のきいた場所を欲してしまふ。つまり、理性のブレーキが麻痺する。
日常生活の中で理性を喪ふ要因となるものが、もう一つある。極度の騒音である。
よく行くワインバーで、深夜、奥の席のグループが酔つ払つて、度を越した哄笑をひびかせ、しかも断続的に、数人が相呼応して奇声をあげる。一度や二度なら我慢するが、五分も十分もつづくので、カウンターを平手でバーンと叩いて、「ウルサイ!」と怒鳴つた。
後日、馴染みのボーイが「お客さんの知らない一面を見た思ひがしました」と嫌味を言つたが、これも理性のブレーキが外れた結果だ。
汗と騒音への異常な反応ーー。これはおそらく病気である。四十一年間のサラリーマン生活でもキレたことは一度もなかつたのに、リタイアして、一介の素浪人となつたと同時に、汗と騒音にだけ病的に過敏になつた。
周囲がとうに察してゐるやうに、歳の影響も大きいのだらう。「わがままジジイ」といふヤジが聞こえないでもない。
