お盆だからといふわけでもありませんが、少しは功徳を積まうかといふ気になりましてーー。

 この年まで生きてくると、お世話になつた方は数知れません。中でも、社会人になりたてのころ親切にして頂いたり、何かとご迷惑を掛けた方は忘れられません。

 その一人が、初任地・前橋支局のデスクです。新人が火事場の写真を撮り損なつたりすると(当時から写真は下手でした)支局長に対して弁護してくれたり、毎晩のやうに飲み屋から自宅に連れて行つてくれて奥様の手料理をご馳走してくれたり、取材の帰りに交通事故を起こした折には病院の手配や諸手続きに便宜を図つてくれたり、随分と迷惑を掛けました。

 ご本人は本社へ転勤になつた直後、40歳過ぎでくも膜下出血に倒れ亡くなつたのですが、その奥様が今でも前橋で健在です。78歳になり、最近、調理師の長男一家と離れ、老人ホームに入居されたと聞きました。

 その方を訪ね、最新のデジタルテレビや加入電話、広々とした洗面所やトイレなど、昨年新築の設備の良い部屋でしばし昔話をしたあと、近所の寿司屋で昼食を共にしました。

 初任地にはもう一人忘れられない方がゐます。入居してゐた赤城山麓の市営住宅のご近所の主婦です。

 僕の仕事時間が不規則で、たびたび夜が遅いと(まあ仕事だけとは限りませんが)、まだ世慣れぬ家人が寂しさを紛らはすため、朝と言はず夜と言はず、その娘二人のご一家に「ウチの長女だ」などと大歓迎されて入り浸つてゐたのです。

「あのお宅がなかつたら、私はとても持たなかつたわ。耐へられなくなると駈け込んでゐたもの」
 今回、前橋行きを強硬に主張したのも家人です。

 ご主人は七年ほど前に病死されましたが、ご主人共々、家人をわが子のやうに可愛がつてくれた夫人の方が、このほど90歳を迎へました。

「キリ良く百歳でお祝ひを」などと仰るのを待つてゐたら、お互ひどうなるか分かりませんから、「とりあへず40年前のお礼に」伺ひました。

 日本画、俳句、オカリナ、新聞投稿…さすがに現代の90歳は違ふと感心しましたが、趣味も多彩で、言ふこともボケてゐません。

 老人ホームの78歳も、目下、ホーム内での日本舞踊の教室に生き甲斐を見出してゐました。

「この秋の発表会に出ようと思つたら、入居したばかりなのに発表会で踊るなんてとんでもない、なんて言はれてね。うるさい人がゐるのよ。それよりね、私びつくりした。こんな80人ばかりの老人ホームにも、自民党みたいな派閥があるのよ。派閥の長にはみんなぺこぺこするの。をかしいつたらありやしない」

 かういふ年の取り方なら長寿も悪くないな、僕も頑張つてみるか、と思ひました。