今週から始まつた大相撲初場所は、いつになく人気です。このところ客席に空きの目立つ場所が多かつたのですが、今場所はチケットを取るのも容易でないやうです。
そのわけは、いふまでもなく「引退」の文字が目の前にぶら下がつた二人の力士、朝青龍と魁皇です。
場所前、大方の予想は「ふたりとも五日目までに負けが先行すれば引退」でした。相撲界の悪役を一身に背負つた朝青龍と、大関カド番を繰り返す、大相撲界の良きパパ役の魁皇。
朝青龍は、横綱審議委員のおばちやんのコメントを借りるまでもなく、文字通り賛否両論の力士ですが、相撲界から「ゐなくなると寂しい」点ではかなりの評価を得てゐます。
一方の魁皇は、100%「いい役」回り。悪くいふ人がゐない。「ゐなくなると寂しい」力士の代表と言つてもいい。
かくて初場所は、一種異様な興味の中、幕を開けたのです。結果はどうなるか分かりませんが、けふ13日、三日目までは両者とも三日間全勝です。
改めて思ふのは、日本人は滅びの美が大好きだといふことです。
負ければ「引退」といふ状況、その悲壮感が好きなのです。「引退」の文字の前には、地方巡業をズル休みして故郷モンゴルでサッカーに興じてゐた横綱でも、とうに大関に値する相撲を取るのは無理と分かつた老力士でも、あたかも北京オリンピックの金メダルに対するのと同じやうな声援を送る。「辞めないで」コールを叫ぶ。
これは太陽が水平線から昇る日の出よりも、山の端に沈む夕日を愛でる日本人の心情と相通じるものがあるのかも知れません。滅びに美を見、滅びを賛美したくなる。
今の日本にはもう一人、滅び行かうとしてゐる人がゐるのですが、こちらは一向に美学を認められない。「辞めないで」コールが起きません。
なぜか。その人には朝青龍や魁皇のやうに一時代を築いた栄光がないからです。ただ戦後の有名宰相の孫といふだけで、これまで永田町で格別名をあげるほどのウデを揮つたわけでもない、さういふ姿を国民に見せたことがないのです。
滅びの美学には、昼間の日照が、栄光の過去が必要なのでせう。
そのわけは、いふまでもなく「引退」の文字が目の前にぶら下がつた二人の力士、朝青龍と魁皇です。
場所前、大方の予想は「ふたりとも五日目までに負けが先行すれば引退」でした。相撲界の悪役を一身に背負つた朝青龍と、大関カド番を繰り返す、大相撲界の良きパパ役の魁皇。
朝青龍は、横綱審議委員のおばちやんのコメントを借りるまでもなく、文字通り賛否両論の力士ですが、相撲界から「ゐなくなると寂しい」点ではかなりの評価を得てゐます。
一方の魁皇は、100%「いい役」回り。悪くいふ人がゐない。「ゐなくなると寂しい」力士の代表と言つてもいい。
かくて初場所は、一種異様な興味の中、幕を開けたのです。結果はどうなるか分かりませんが、けふ13日、三日目までは両者とも三日間全勝です。
改めて思ふのは、日本人は滅びの美が大好きだといふことです。
負ければ「引退」といふ状況、その悲壮感が好きなのです。「引退」の文字の前には、地方巡業をズル休みして故郷モンゴルでサッカーに興じてゐた横綱でも、とうに大関に値する相撲を取るのは無理と分かつた老力士でも、あたかも北京オリンピックの金メダルに対するのと同じやうな声援を送る。「辞めないで」コールを叫ぶ。
これは太陽が水平線から昇る日の出よりも、山の端に沈む夕日を愛でる日本人の心情と相通じるものがあるのかも知れません。滅びに美を見、滅びを賛美したくなる。
今の日本にはもう一人、滅び行かうとしてゐる人がゐるのですが、こちらは一向に美学を認められない。「辞めないで」コールが起きません。
なぜか。その人には朝青龍や魁皇のやうに一時代を築いた栄光がないからです。ただ戦後の有名宰相の孫といふだけで、これまで永田町で格別名をあげるほどのウデを揮つたわけでもない、さういふ姿を国民に見せたことがないのです。
滅びの美学には、昼間の日照が、栄光の過去が必要なのでせう。
