「成田闘争はゴネ得」「日教組が学力低下を招いた」などの発言をしたことで、中山成彬国土交通相が辞任しました。
これは政治記者当時から考へてゐたことですが、政治家の失言といふのは役職を辞するに値するほど重大な罪科でせうか。
失言者に敵対する勢力から「人格を疑ふ」とか「職責にふさはしくない」といふ批判が出るのは、常に敵のエラーを待ち望む政治の世界ではやむを得ないことですが、その非難を真に受けて、任命権者が辞任を認めるのはをかしくないでせうか。
失言者を辞任させる理由は、そのほとんどが「国会対策上の都合」です。
反対勢力がその失言問題で国会審議を拒否すると困るから辞任させる。国家機関の役職といふのはそれほど軽いものなのでせうか。
失言に至る背景はさまざまでせうが、その多くは失言者の性格に因ります。
ものを言ふときに慎重な人と、比較的考へなしにものを言ふ人がゐるのはどの世界でも同様です。政治家は一般人とは違ふのですから、何かを発言するとき、慎重であるに越したことはありません。
しかし、人間、あるポジションに就いたからといつて、さうさう簡単に性格が直るものではない。気が激したり、調子が出た時には、ついいつもの癖で口が滑ることはあるでせう。
さういふ性格は、政治家としては紛れもないマイナス点だし、失言自体は間違ひなく過失です。その責めは負ふべきですが、その罪が職を退くに値するほどのことなのかーーです。
発言の内容が誤謬だとか、発言内容のやうな考へ方を持つ人がその職務を担当することが問題だと非難する人は二重の過ちを犯してゐます。
この国ではどのやうな考へ方を持つ人も許される(「思想信条の自由」)し、その人がどのやうな重責を担はうと自由(「政治活動の自由」ほか)です。
刑法でも人を殺すことと傷つけることの罪は異なります。人を傷つけることと人を中傷し名誉を傷つける罪も異なります。過失には程度、影響度により罪科に差があるのです。
失言は失政ではありません。
失言を咎めて職から追放するより重要なことは、その当人が政治家としてその職で何をするか、あるいはしたかを精査することです。政治家にとつては、失政こそが辞職に相当する最高の罪なのです。
テレビや討論会での人の発言を、鵜の目鷹の目でアラ捜ししたり、「問題発言だ」「辞任要求だ」とすぐ騒ぎ立てる人たちには、むしろそちらの、人としての品性の方を疑ひたくなります。
批判されるのを恐れて、政治家が何も言はなくなつてしまふことの方が怖い気がします。
これは政治記者当時から考へてゐたことですが、政治家の失言といふのは役職を辞するに値するほど重大な罪科でせうか。
失言者に敵対する勢力から「人格を疑ふ」とか「職責にふさはしくない」といふ批判が出るのは、常に敵のエラーを待ち望む政治の世界ではやむを得ないことですが、その非難を真に受けて、任命権者が辞任を認めるのはをかしくないでせうか。
失言者を辞任させる理由は、そのほとんどが「国会対策上の都合」です。
反対勢力がその失言問題で国会審議を拒否すると困るから辞任させる。国家機関の役職といふのはそれほど軽いものなのでせうか。
失言に至る背景はさまざまでせうが、その多くは失言者の性格に因ります。
ものを言ふときに慎重な人と、比較的考へなしにものを言ふ人がゐるのはどの世界でも同様です。政治家は一般人とは違ふのですから、何かを発言するとき、慎重であるに越したことはありません。
しかし、人間、あるポジションに就いたからといつて、さうさう簡単に性格が直るものではない。気が激したり、調子が出た時には、ついいつもの癖で口が滑ることはあるでせう。
さういふ性格は、政治家としては紛れもないマイナス点だし、失言自体は間違ひなく過失です。その責めは負ふべきですが、その罪が職を退くに値するほどのことなのかーーです。
発言の内容が誤謬だとか、発言内容のやうな考へ方を持つ人がその職務を担当することが問題だと非難する人は二重の過ちを犯してゐます。
この国ではどのやうな考へ方を持つ人も許される(「思想信条の自由」)し、その人がどのやうな重責を担はうと自由(「政治活動の自由」ほか)です。
刑法でも人を殺すことと傷つけることの罪は異なります。人を傷つけることと人を中傷し名誉を傷つける罪も異なります。過失には程度、影響度により罪科に差があるのです。
失言は失政ではありません。
失言を咎めて職から追放するより重要なことは、その当人が政治家としてその職で何をするか、あるいはしたかを精査することです。政治家にとつては、失政こそが辞職に相当する最高の罪なのです。
テレビや討論会での人の発言を、鵜の目鷹の目でアラ捜ししたり、「問題発言だ」「辞任要求だ」とすぐ騒ぎ立てる人たちには、むしろそちらの、人としての品性の方を疑ひたくなります。
批判されるのを恐れて、政治家が何も言はなくなつてしまふことの方が怖い気がします。
