感じるのは、絶叫するタレントやアナウンサーが減つた、といふことです。

 レースやゲーム開始直前の北京のスタジオや東京のスタジオ。
「さあ、いよいよ運命の一戦。ここ一番、遠く北京の空に届くやうな大声援を送らなかつたら日本人ぢやない!」

 レースやゲーム終了直後、画面が競技場からスタジオに切り替はる。
「ヤッター!ついにヤッター!世界中のお茶の間に、センターポールに上る日の丸が翻りました!」

 この手の雄叫び型、誇大表現タイプのタレントやアナウンサーが、今回のオリンピックではかなり少なくなつたと感じませんか。トーンが以前ほどひどくない。

 もちろん、スポーツ番組のたびに顰蹙を買つてゐる例の若手俳優の「ひとりよがり型」が絶滅したわけではありません。

 イケメン元テニスプレーヤーは恥ぢらひもなく絶叫型を継承してゐるし、人気漫才師は含羞を見せながらも基本姿勢として「ヤッター派」を残してゐます。(彼の脇で、元プロ野球選手が冷静なのが救ひです)

 しかし、スタジオに切り替はると「日本人選手、がんばりましたね」と冷静に受けるNHKはもとより、民放各局も今回のスポーツ中継からかなり熱狂型叫喚を抑へ、”フツーに”報道する姿勢を強めてゐます。

 たとへば大地震や凶悪事件を、「これはスゴイ!日本が変はります!」といふ調子で伝へるアナやタレントはゐません。こちらのはうがスポーツよりもずつと刺激的で、大事件なのに、です。

 なぜかといへば、長い間の経験から、報道する側が自分で激し、高揚した言葉を用ゐれば用ゐるほど、視る側はしらけて、事実の重大さや深遠さが伝はらないといふことを学んでゐるからです。

 実は新聞報道も、昔は見出しから本文までやたらに大言壮語する絶叫型でした。百数十年余の経験で、それでは逆に真実が伝はり難いことを学んで、今日のスタイルに定着したのです。(メダル選手に関する「お涙頂戴」の裏話は今回も目立ちますが、まあ大目に見ませうか)

 映画やテレビドラマでもさうですね。俳優が勝手に興奮し、浮いた演技をすると、観てゐるはうは泣くに泣けない。ときには笑ひ出したくなります。

 今回のやうに、スポーツ報道が全体として「フツーに」報道されるやうになりつつあるのは、(やや絶叫タレントを真似した大袈裟な言ひ方をすれば)日本社会の成熟度を反映してゐると言つてもいいのかもしれません。

 お断りしますが、一部のテレビ局を除けばの話です。