サラリーマンになつて40年以上、昼前から深夜にかけての仕事のために、僕は週日の夜は原則として外食です。
 
 おかげでネオン街に親しむ機会が多くなり、小料理屋とか寿司屋、フレンチ、イタリアンなど外食産業には毎晩お世話になつてゐます。

 外食はいふなれば「あてがひぶち」です。注文して、来たものを食べるほかありません。オープンキッチンの料理屋ならともかく、普通のレストランでは板場でどんなことが行はれてゐるかチェックしやうがない。出されたものを、ただ旨いか不味いかで判断するだけです。

 長い外食生活の間には、オムライスの中に噛んだガムが入つてゐたこともあれば、食べ終はつた天ぷら蕎麦の底にご飯粒が沈んでゐたこともあります。あつたといふより日常茶飯事です。

 料亭「吉兆」が客の食べ残しを次の客に回してゐたといふニュースを聞いた時、当然ぢやないの、何がをかしいのかな、といふのが僕の感想でした。

 板前さんにも小料理屋の女将にもフレンチのシェフにも友人がゐますが、そんなことは彼ら彼女らの常識です。

 客が手を付けなかつた、あるいはそつくり食べ残した、それをきれいに盛り替へて次客に出すのは、正面切つては言はないけれど、一流二流を問はず板場の当然の措置なのです。

 考へても見てください。部屋から下げて来た皿に刺身の盛り合はせが出したときそのままに残つてゐる。それをポイと残飯ボックスに捨てる店があるでせうか。

 そんな勿体ないことは許されない。ちよつとでも醤油がかかつてゐるとか、毒だとかなら論外ですが、最初に盆に載せたのと同じ清潔な形で再び出せるなら、それを再利用するのは飲食業として当たり前でせう。

 外食の場では、それくらゐのことは覚悟しなければなりません。料理人がガムを噛んでゐるかもしれない。カツドンのどんぶりを十分洗はないで天ぷら蕎麦の器に使ふ店があるかもしれない。

 それは不愉快です。文句をいふのは自由ですが、外食である以上、自宅で妻に「ガムを噛みながら料理をするのはやめてよ」と注意するのと同じ環境は求められません。我慢するしかない。超一流料亭でも、利益を追求する飲食店に変はりはありません。聖人君子のやうなモラルを求めるのは無理といふものです。

 僕はむしろ、こんどの「吉兆」のニュースを飲食店経営者がどんな思ひで聞いたかに興味があります。

 きものだけ高価さうな、あの強欲にして可愛げのない、権力欲が不健康な渇いた肌に満ち満ちた「ささやき老女将」が、事件のイメージを最悪にしてゐるのは覆ふべくもありませんが、果たして内心、「吉兆」を笑へる飲食業者がどれほどゐるだらうかと思ふのです。