「よう、こんどカルチャーセンターで教へるんだつて」

 大学時代の友人から数十年ぶりの電話です。携帯の番号は知らないので、語学教室の名簿を頼りに家の方に掛けて来ました。40年ほど前の名簿です。

「頼まれて仕方なしにね。僕がものを教へるなんて笑つちやふよな」

 26日の新聞折り込みで、例の講座の宣伝チラシがカルチャーセンターがあるエリア一帯に撒かれました。新設講座ですから、まづまづ目立つ場所に掲載されてゐます。

「『600字で思つたことを全部書く』つて講座だけどーー何を講義するの?」
「やつぱり分からないか。要するに文章講座さ」
「文章講座だらうなとは思ふけど、600字にどんな意味があるの」

 600字はね、まあ短い文章のひとつの典型的な長さで、たとえば新聞の1面コラム、読売の編集手帳とか朝日の天声人語なんかあるでしよ、あれが大体600字、企業の入社試験の論文なんかもほとんどが600字か800字。600字あれば一応言ひたいことは言へる、言へなくちやあいけない長さなんだな。だから、そのためには……。

 と説明しながら、あの講座タイトルを見て、彼のやうな疑問を抱く人は多いんだらうな、タイトルから講座の狙ひがピンと来ないやうでは受講者が集まるわけないなと、電話口で話していながら当方が次第に落ち込んでいくのを彼は察知したのでせう。

「人間て、40年たつても変はらないんだな」
 と急に話を切り替へました。

「キミは大学のころから文学一本だつたものな。政経学部だといふのにまるで明治時代の文学青年みたいに、『来月号の文学界に作品が掲載されることになつた』と躍り上がつて喜んだりしてゐたよな。みんなで、アイツは本気で小説で食つていくつもりかなあ、なんて話してゐたんだ。長いことサラリーマンやつてきても、いまだに文学青年だな」

「さう言ふお前はどうなんだ。企業で揉まれて少しは変化したか」
 僕の切り返しに、貧乏学生から銀行業界に飛び込んで40年の彼は、一瞬黙りました。

「ーーさうだな。オレも学生の頃からカネカネと言つてて、いまだカネ相手の商売から離れられないでゐる。まう先も見えたから、あんまりあくせくしないけどさ」

 そして60を越した男二人の結論は、極めて凡庸なものでした。
「お互ひ、芸がないつてことかな。あるいは、人間いくら年をとつても本質は変はらないつてことか」

 近く新宿あたりでゆつくり飲むか、といふことで電話を切りました。
 これも学生時代と変はつてないな。