3月に浅草橋の「きた川」を閉めたキタサンと、けふ久々に昼飯を食べました。
人形町で修業10数年ののち、一昨年10月に初めて自分の店を浅草橋に開いたキタサンは、今年4月に40歳を過ぎて初めて結婚、浦和市に新婚の居を構へ、当面、生活の安定をとチェーン店の「木曽路」に就職、和食を担当してゐます。
最初の勤務先は、新居に近い大宮店でしたが、明日から銀座三丁目の店に転勤ださうです。大きなチェーン店ともなると、料理人もサラリーマンと同じで転勤があるのですね。
「わずか三ヶ月で異動です。やつと慣れたと思つたら」
キタサンは驚いてゐますが、大宮店から銀座店への急な転勤は、やはりウデが認められたといふことでせう。
「でもね、キタサン」
と、僕は釘を刺してをきました。
「いくら社内でウデを認められても、それに満足してゐたらタダのサラリーマン。料理人は自分の店を持つてこそ一人前だからね。次の店探しは怠らないでね」
「さうですね。自分を戒めてゐます。ヒトの店で働くのは楽ですからね」
キタサンへの言葉は僕自身の悔悟の言葉でもある。
物書きで独り立ちしようとして、まう少しあとに、まう少しあとにと先延ばしするうちに、世にいふ定年の年頃になつた。
楽だからーー。さう。大手の新聞社に勤めて、それなりに次々と仕事をあてがはれて、それを日々こなしていくだけの人生は楽なのだ。
筆一本で得る収入はたかが知れてゐる。
40歳代のころ、いくつか月刊誌に連載小説を書いたこともあつたが、連載が終はりに近づくと「次の仕事はいつ来るだらう」と不安になる。
それでもサラリーマンだつたから、仕事が途絶えてもなんてことはなかつた。
収入が不安定になるのが怖くて、新聞社を辞められなかつた。
書く仕事にも年齢のリミットといふものはあるだらう。料理人が店を持つにも、望ましい年齢といふものはあるだらう。
「また、近いうち昼飯懇談をやりませう」
さう言つて別れたが、こんご彼と会ふたび、こんな思ひはきつくなるに違ひない。
人形町で修業10数年ののち、一昨年10月に初めて自分の店を浅草橋に開いたキタサンは、今年4月に40歳を過ぎて初めて結婚、浦和市に新婚の居を構へ、当面、生活の安定をとチェーン店の「木曽路」に就職、和食を担当してゐます。
最初の勤務先は、新居に近い大宮店でしたが、明日から銀座三丁目の店に転勤ださうです。大きなチェーン店ともなると、料理人もサラリーマンと同じで転勤があるのですね。
「わずか三ヶ月で異動です。やつと慣れたと思つたら」
キタサンは驚いてゐますが、大宮店から銀座店への急な転勤は、やはりウデが認められたといふことでせう。
「でもね、キタサン」
と、僕は釘を刺してをきました。
「いくら社内でウデを認められても、それに満足してゐたらタダのサラリーマン。料理人は自分の店を持つてこそ一人前だからね。次の店探しは怠らないでね」
「さうですね。自分を戒めてゐます。ヒトの店で働くのは楽ですからね」
キタサンへの言葉は僕自身の悔悟の言葉でもある。
物書きで独り立ちしようとして、まう少しあとに、まう少しあとにと先延ばしするうちに、世にいふ定年の年頃になつた。
楽だからーー。さう。大手の新聞社に勤めて、それなりに次々と仕事をあてがはれて、それを日々こなしていくだけの人生は楽なのだ。
筆一本で得る収入はたかが知れてゐる。
40歳代のころ、いくつか月刊誌に連載小説を書いたこともあつたが、連載が終はりに近づくと「次の仕事はいつ来るだらう」と不安になる。
それでもサラリーマンだつたから、仕事が途絶えてもなんてことはなかつた。
収入が不安定になるのが怖くて、新聞社を辞められなかつた。
書く仕事にも年齢のリミットといふものはあるだらう。料理人が店を持つにも、望ましい年齢といふものはあるだらう。
「また、近いうち昼飯懇談をやりませう」
さう言つて別れたが、こんご彼と会ふたび、こんな思ひはきつくなるに違ひない。
