12月28日、隅田川は一昨日の豪雨の影響か、いつになく濁流と化してゐます。清洲橋の上はまさに寒風吹き荒ぶといふ感じです。
御用納めだし、午後は仕事もないし、昼飯はちよつと遠出するかと、人形町を目指して歩き出しました。
実は途中の新大橋通りの洋食屋でもいいかなとドアを開けてはみたのですが、やはり御用納めの興奮なんでせう、若いサラリーマンが行列をなしてゐて席がない。
明治座の手前から左に折れて、甘酒横丁の細い通りを横切り、夜は酔客で賑はふ路地を歩く。
前から、顔見知りのオヤジが男女を連れて歩いてくる。自分は自転車を転がしてゐます。
清浜田の親方です。人を案内してゐるせいか、顔が店にゐるときより上気してゐる。
すれ違ひざま、白い割烹着の肩をちよいと叩く。「良いお年を」くらゐの挨拶をしようと思つたのですが、親方はこちらに気がつかない。連れとの話に夢中になつてゐる。
まあいいか、いつでも店で会へる、とそれ以上は追はずに、昼飯屋に急ぐ。
「カサドール」といふスイス料理屋です。昼は普通のフレンチをやつてゐます。
最初に白ワインを頼む。料理は鰆のムニエル。フルーティーな、やや甘口の白は趣味ですが、それに近い。まう一杯。
いい気分になつて、人形町の大通りに出る。歳末売出しをやつてゐる。屋台も出てゐる。有名な肉屋には行列ができてゐます。漬物屋も人が溢れてゐる。
次の路地で、自転車に乗つた白いセーター姿の女性が、知り合ひと年の瀬の挨拶をしてゐます。なんと清浜田の朱美女将です。こんどは肩を叩けるほどの近さぢやない。手を上げて合図する。
女将は、こちらも知人の女性とのやり取りで興奮してゐます。いい表情です。
結局、女将はこちらの合図に目が行かない。そのまま自転車を走らせて路地を出て、セーターを強風にはためかせながら、清浜田の方向へ走り去りました。
二人とも同じ料理屋の夫婦といふところがなんとも偶然ですが、このあたりにそれくらゐしか僕の知り合ひがゐないといふことかもしれません。
しかし、たまたま顔見知りの二人とすれ違つて、二人ともこちらに気付かないで通り過ぎた。
人生にはかういふすれ違ひつて、かなり多いんでせうね。
あるとき何処かで、昔の馴染みの、まう一度会ひたいと思つてゐる女性とすれ違つてゐるんぢやないか。相手は女性だから、こちらに連れがゐれば声をかけるのは遠慮するだらう。こちらが気付かない限り、一生に一回あるかないかの再会の機会は永遠に失はれる。
年のをはりだから、こんなことを考へるのでせう。人と人の出会ひなんて、本人が知らないうちに、あんがい頻繁に起きてゐるのかもしれませんね。
御用納めだし、午後は仕事もないし、昼飯はちよつと遠出するかと、人形町を目指して歩き出しました。
実は途中の新大橋通りの洋食屋でもいいかなとドアを開けてはみたのですが、やはり御用納めの興奮なんでせう、若いサラリーマンが行列をなしてゐて席がない。
明治座の手前から左に折れて、甘酒横丁の細い通りを横切り、夜は酔客で賑はふ路地を歩く。
前から、顔見知りのオヤジが男女を連れて歩いてくる。自分は自転車を転がしてゐます。
清浜田の親方です。人を案内してゐるせいか、顔が店にゐるときより上気してゐる。
すれ違ひざま、白い割烹着の肩をちよいと叩く。「良いお年を」くらゐの挨拶をしようと思つたのですが、親方はこちらに気がつかない。連れとの話に夢中になつてゐる。
まあいいか、いつでも店で会へる、とそれ以上は追はずに、昼飯屋に急ぐ。
「カサドール」といふスイス料理屋です。昼は普通のフレンチをやつてゐます。
最初に白ワインを頼む。料理は鰆のムニエル。フルーティーな、やや甘口の白は趣味ですが、それに近い。まう一杯。
いい気分になつて、人形町の大通りに出る。歳末売出しをやつてゐる。屋台も出てゐる。有名な肉屋には行列ができてゐます。漬物屋も人が溢れてゐる。
次の路地で、自転車に乗つた白いセーター姿の女性が、知り合ひと年の瀬の挨拶をしてゐます。なんと清浜田の朱美女将です。こんどは肩を叩けるほどの近さぢやない。手を上げて合図する。
女将は、こちらも知人の女性とのやり取りで興奮してゐます。いい表情です。
結局、女将はこちらの合図に目が行かない。そのまま自転車を走らせて路地を出て、セーターを強風にはためかせながら、清浜田の方向へ走り去りました。
二人とも同じ料理屋の夫婦といふところがなんとも偶然ですが、このあたりにそれくらゐしか僕の知り合ひがゐないといふことかもしれません。
しかし、たまたま顔見知りの二人とすれ違つて、二人ともこちらに気付かないで通り過ぎた。
人生にはかういふすれ違ひつて、かなり多いんでせうね。
あるとき何処かで、昔の馴染みの、まう一度会ひたいと思つてゐる女性とすれ違つてゐるんぢやないか。相手は女性だから、こちらに連れがゐれば声をかけるのは遠慮するだらう。こちらが気付かない限り、一生に一回あるかないかの再会の機会は永遠に失はれる。
年のをはりだから、こんなことを考へるのでせう。人と人の出会ひなんて、本人が知らないうちに、あんがい頻繁に起きてゐるのかもしれませんね。
