「地球へ...」 | しょうちゃん オフィシャルブログ

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みなさん「地球へ...」という作品ご存じですか? 「地球」と書いて「テラ」と読みます。なので「テラへ」ですね。

 

 

 いつの作品?

「地球へ...」は竹宮恵子さんが原作の漫画作品です。SFものなので宇宙や最先端科学などがテーマとして扱われています。連載は1977年~1980年で、最初にアニメ映画になったのが1980年、リメイクのアニメが2007年なので、最後に作品化されてからも、約16年たっているので、往年のSF長編アニメと言っていいのかなって思います。

 

 どんなお話?

時代は西暦3000年より先の未来なので、現代より1000年以上の未来が舞台です。環境破壊などが進みすぎてしまい、人類は地球に住むことが困難になる。その状況を人工知能である「マザー」に委ねた徹底的な管理社会によって再構築しようとしている中で、通常の人類と、その人類から生まれる「ミュー」と呼ばれる超能力を持った人類を通してさまざまな人間模様が描かれます。

 

お話は大きく3編に分かれていると思います。1つはミューの成り立ち。この作品の1人目の主人公であるジョミー・マーキス・シンがミューとして目覚めミューのリーダーであるソルジャーになっていくストーリーが描かれます。普通の人間ではないと知り苦悩し、自らの運命を受け入れ、ジョミーの前のリーダーであるソルジャー・ブルーの意志と記憶を受け継いで新たなソルジャーとなって行きます。このセクションで、ミューの多くは人間としてみれば弱い存在(目が見えない、言葉が話せないなどなど)である代わりに超能力が使えるということや、人数が少ない代わりに非常に長命(300年以上生きている設定)であることが明かされます。作品の中でジョミーのことをブルーが「人間の太く強い生命と、ミューとしての細く長い生命の両方を持っているのがジョミーである」と説明するシーンがあり、ジョミーがとても特殊なミューであるということが描かれます。

 

2つ目は人類側です。この時代の人類はSD体制と呼ばれて自然妊娠はまったくないという設定すなわち人口の増減が完全に管理されている設定です。子供はマザーによって作られ選ばれた親の元で暮らし14歳になるお「目覚めの日」と呼ばれる記憶操作を行われて大人になります。その中で14歳まですべての時間をマザーによって作られた、はじめての人類であるキース・アニアンという存在が描かれます。スーパーエリートであり、後の国家元首です。ミューを滅ぼす側のリーダーです。ただし、皮肉なことなのか、それもまたマザーのプログラムだったのかは明かされませんが、キースの遺伝学上の母親はフィシスと言って、実はミューであるということがあり、実はこのことが、この作品の「最後」を決定づけている要素でもあります。

 

3つ目は人類とミューの闘争です。自分たちの生まれ故郷である地球で人類の代表であるキースと、ミューの代表であるジョミーは「対話」を目指します。最後に、ジョミーと2人でグランドマザーと呼ばれる人工知能と対決することをキースは選びます。それと同時に「不都合な真実」を明かします。実はグランドマザーは「わざとミューを作った」ということです。ミューがいることによって、人類の戦う相手がミューであるとすることによって人類の目を逸らすことが目的であったというようなことです。最後はキース自身がグランドマザーを壊すことを選びますが、地球の奥深くでジョミーと二人死んでいきます。地球は滅び、ミューの生き残りが人類を救い、崩壊していく地球を去っていき、死んでいた地球の色が青い地球に戻るシーンで作品は完結します。

 

 この作品の何がそんなに好きなのか

私が最初にこの作品に触れたのは小学校高学年の時です。当時は宇宙とか超能力とか人工知能とか「かっこいい」みたいな感覚で見ていたと思います。

 

次は高校生ぐらいの時に、漫画を読んで、アニメと漫画では細かいことが少し違って描かれているのですが、当時すでにコンピューターに詳しかった私としては「人工知能が人間を支配する」ということの現実感はさておき、「技術は正しいことに使わなければならない」という倫理観を感じたと思います。

 

コンピューターというものとの向き合い方という意味では、私のいろんな考え方の源泉はここにあると言ってもいいように思うような作品です。おそらく原作者がそこまでの含みを持って描いたわけではないと思うのですが、40年以上前の作品というのは、あまりにも現代的なテーマの作品だったなと思います。

 

 今、見て思うこと

「地球へ...」のテーマって広い意味での「愛」だったんだなーってことです。この作品のキーは、今見返すと非常に良くわかるのですが「親子の愛」「友情」「男女の愛」などなど、広い意味での「人を愛する」ということがテーマなのだろうと思います。

 

ジョミーは人類に育てられ決して心の底からは人類を憎めない

キースはグランドマザー(人工知能)ではなく、遺伝学上の母であるフィシスを自然と愛する

ジョミーとキースの共通の親友であるサムへの想い

SD体制に逆らい自然妊娠によって生まれたミューの子たちの強さ

 

トォニイという自然妊娠で最初に生まれたミューが「僕たちは望まれて生まれ、愛されて育った」と語るシーンがあるのですが、その親子の愛は遺伝学上のつながりなくとも生まれるものであり、そして遺伝学上の親子の間には語らずとも結ばれる、そんな人類愛みたいなものが描かれます。

 

キースの部下であるマツカ(実はミューであることを隠して人類の中で暮らしている)がキースを守るために死ぬのですが。ミューというキースにとって排除すべき存在と自分の間に流れるものをキースが結末につながるような考え直した瞬間がマツカの死にあったと思うと、実は一番大きな愛をこの作品で示したのはマツカだったかもしれないと思ったりもします。

 

 結末

この作品をハッピーエンドと捉えるか、バッドエンドと捉えるから人次第かもしません。ジョミーもキースも死んで終わるのでバッドエンドでもあるし、人類とミューが新たな一歩を踏み出せたという意味ではハッピーエンドでもあります。

 

トォニイがジョミーの死を思い「あなたの願いが分かった」というような趣旨のシーンが組み込まれています。ジョミーの本当の願い「戦いではなく手を取り合い共存共栄していく」と伝わったことがハッピーエンドだと思いたいところです。

 

自分の意志で生きること、自分とは違う他人を受け入れること。これらは現代で求められる多様性社会の考え方の基礎だと思います。そういう意味でも非常に先進的な作品だったなと思います。

 

全編見たら、今でも10か所ぐらいは泣くシーンがあります。みなさんもぜひ泣いてください。

 

 結局お前は何がいいたいのか

単に熱く語りたかっただけなのですが(笑)

 

私にとっては、3大アニメ作品というのがあります。「はいからさんが通る」「エースをねらえ」「地球へ...」です。全然違う作品ですが「はいからさんが通る」からは正直にまっすぐ生きることの大切さを。「エースをねらえ」からは努力の大切さを。「地球へ...」からは、どんなにかなわないと思うような夢も歩き続けた向こう側にあるということを教えてもらったと思います。

 

これらは私の3大要素なので。3大アニメに対して、実は3大マンガというのもあるのですが、それは、まぁ、機会があれば、またそのうち書いてみます(笑)