元旦の発災。令和6年能登半島地震。

 

昨日1月4日13時。柏崎DMATは石川県に向けて出発しました。私自身は柏崎に留まって後方支援ですけど。即席のクロノロ、出発までの時系列、残しておきます。

 

2024/01/03

 

16:13 新潟DMATへの派遣要請メールを受信。発災2日後の派遣要請。私は?? ダメだ、4、5の木金、仕事を抜けられない。6、7の土日も代理の立てられない予定がある。さあどうする、柏崎DMATグループLINEで協議。

 

19:30 柏崎DMAT出動の方向で調整。出動医師は明日の当直に急遽代理を立てる。看護師も勤務調整へ。隊長の私が出動できないことを、石川に支援に行きたいDMATメンバーの熱意が乗り越える形になりました。内々に、DMAT出動を検討中と柏崎消防に情報提供。

 

2024/01/04

 

08:30 DMAT出動を院長が承認。出動メンバーは4名。リーダーたけきDr。看護師は品D、春K。ロジはY岸。

08:45 連携協定を結んでいる柏崎消防に、協定に基づいて正式に帯同の可否の検討を要請します。消防長にDMAT出動が決まったと連絡。柏崎市長の承認も得られていると。早っっ!柏崎消防の帯同決定。

09:07 消防は救急救命士の佐Tと村Yの2名を選出。車両は指令車(ワゴン車)を依頼。さて出動準備。医療資機材、薬品、個人装備…資機材の積み込み。

12:45 病院前に集合、

13:00 院長、事務長、看護部長らに見送られ、石川に向けて出発!DMAT隊長(私)も見送る側です。オレも行きたかった…。

DMAT4名と消防2名、DMAT救急車と消防指令車の2台。下の写真は出動の6名と、私を含む後方支援部隊の3名です。

 

行ってらっしゃい!

 

17:00 DMAT参集拠点本部、公立能登総合病院に到着した、と連絡が入りました。

 

被災地の人々のためにがんばってきてください。被災地では、現地でがんばっている医療者も皆被災者であることを常に心に留めて活動してください。そして貴重な経験を持ち帰ってください。被災地ではまだ余震も続いている。くれぐれも安全第一で。余力を残して活動を!