樹里が息を引き取って36日。
亡くなる、見送る、葬る、旅立つ、お別れする、樹里が死んだことをそういう言葉で表現するのが嫌だった。だってここにいるのに?そういう気持ちが強くて。どの言葉も「ここにいる。」という確信を否定するフレーズに聞こえてしまって。
でも最近は、そういう言い方ををわざわざ避けようとするのがかえって馬鹿馬鹿しいかな、と思えてきた。
「うん、死んだよ。だけどここにいる。」「旅立った?そう。それはそれとして、ここにいるけどね。」お空へ?天国へ?うん、そうだよ。行った。逝った。確かに見送った。旅だったのかもね。だけどここにいる。小さい樹里が「ちょこん」と、家にいる。隣にいる。微笑んでる。笑ってる。眠ってる。すぐそこで。
見送ったはずだけど横にいる。別に矛盾しない。樹里の存在は、大きくなって広がって、天国も空も宇宙も、地上もうちの中も家族の中も心の中も、染み込んで満たして包み込んでいる。どこもかしこも樹里だらけ(笑)
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1号、2号、聞いて。知っておいて。
日々は変わらずむしろ満たされている。
病院にはいないよ。
退院したからここにいる。
ここにいるから言葉や心は直接届く。
樹里は話しかられるのを待っている。
みんなをいつも見ている。
だから…
朝起きたら
「樹里ちゃん、おはよう。」
寝る時は
「樹里ちゃん、おやすみ。」
晴れていれば
「天気いいね。」
雪の朝には
「今日は寒いねぇ。」
言ってあげてね。
喜ぶから。
おいこら