ゴールデンウィークの真っただ中の今日、長男の家族と一緒に、大宮にある鉄博(鉄道博物館)に行ってきました。孫の二人の男の子はどちらも鉄道好きなので大喜びでした。さすがに混んでいましたが、少し並ぶ程度なので大したことではありません。しかも今日は昨日と違い、天気が良くて爽やかな風が吹ていて、絶好の行楽日和ですね。
実は私自身も子供のころからの鉄道好きでしたから、歳を取った今でも鉄博に行くのは楽しいです。最近はブルートレインが廃止されてしまい、北斗星やカシオペアなども無くなってしまったので、私は鉄道写真を撮らなくなりました。今では鉄博に来ないとSLや電気機関車には会えません。JR東日本の総2階建て新幹線MAXも引退してしまい鉄博でしか会えません。寂しいですね。
ところで、展示されている旧鉄道車両の中に、明治時代のかなり古い客車があるのですが、その車両のボディに「下等」と記されているのが目にとまりました。数字のⅢという表記もついていたので、これは今でいう普通車のことなのですが、「下等」と言う表記にとても違和感を覚えます。上等に対する下等という意味ですが、「下等」と書かれるとなんだか差別的なイメージがあります。
少し話が脱線しますが、そもそも明治時代は文明開化としてスタートしたのですが、明治維新というのはいわゆる民主化を求める市民革命ではなく、武家の間のクーデターです。だから武家による政治体制のまま、徳川家から薩長の士族に政権が移っただけで、社会そのものは依然として武家社会のまま文明開化を推し進めてきました。だから「下等」などという、およそ民主主義とは似つかわしくない表記が堂々と使われていたのではないでしょうか。
日本は結局、そのままの社会体制が終戦まで維持され、進駐軍のマッカーサーによる強制的な民主化指導によって民主主義が導入されました。しかしそれでも政界の主役は旧武家や貴族の出身者が占めていたので、「武士道精神」が政治に利用されています。
戦後生まれの若者たちは、学校で民主主義に基づく新しい教育を受けて育ったのですが、卒業して社会に出て働いてみると、職場の上司たちは戦前の世代だったので、民主主義ではない封建的な、または「武士道精神」の名を借りた高圧的な社風の中で働くことになりました。そしてそれは先輩、上司から後輩の世代に受け継がれてきました。それが近年、パワハラとかセクハラの規制によってようやく受け継がれなくなり、「働き方改革」として浸透してきました。
こんな時代だから、「下等」などという言葉に物凄い不快な違和感を覚えるのだと思います。
