責任を取らない経営者たち | 今、私が考えていること

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毎日の出来事を、新聞やネット上の記事からピックアップして、私なりの意見などを書き綴ります。

東洋経済に紹介されていた坂口孝則氏の新著『買い負ける日本』の中に、「日本はNATOと呼ばれている」と書かれていて、私は何のことなのか? と興味を持ちました。NATOと言えばアメリカを中心とする欧米の西側諸国(31ケ国)が加盟国の領土および国民を防衛するために結んでいる協定ですが、日本は加盟していないはず。よく読んでみると違いました。

NATOと言っているのは、Not Action Talk Onlyの略語で、海外諸国から「(日本は)話すだけで何も動いてくれない」という意味だそうです。

うーん、なるほどそうだなあ、と感心してしまいました。結局決断が遅いのです。何をするにも内部での根回しやら質疑に時間がかかり過ぎてなかなか決断されないという風潮を揶揄している。なぜそんなことになるのかと言うと、ズバリ言えば、誰も責任を取りたくないからです。会社の役員たちは経営の責任者なのに、なぜか責任を回避したがる。業績がいい時は、「これは私がやったのだ!」と主張したがるのに、経営危機に陥ると「私には責任はない」と背を向ける。私が以前勤めていた銀行もそうでした。もう30年ぐらい前になりますが、当時私は不良債権処理の専門部署の部長代理でした。単なる事務方でしたが、不良債権処理に係る重大な議案の書類を作成し会議の隅の方で同席していました。内心は「今日決断してくれ」と願いつつ議論の行方を聞いていると、そんな雰囲気はなく議論は空転していて、結局、「もっとこういう資料を作ってくれないと判断しづらいね」という宿題だけを残して終わってしまうのです。つまり、「今日のところは結論は出せないなあ・・・」と逃げているのです。こうなると私は大変です、宿題の資料を徹夜で作成しないといけません。ですから当時私の部署は「紙工場」と言われていました。毎晩午前1時2時まで働いて資料を作成し、会議に出すと結論持ち越し、こんなことを繰り返していくうちにますます事態は切迫して行き、結局「ああ、もう時間が無い、とりあえずこれで行くしかないね、仕方ないよ」という良い訳で決断してしまう。結局その銀行は破綻したのです。今も日本の多くの企業、政府、官庁などでこういう無駄な仕事を日々繰り返しているのではないでしょうか。

著者はこれが原因で日本は海外からの半導体などの資材調達で「買い負け」し、中国や欧米諸国より大きく遅れを取ってしまったということを指摘しています。日本人は「武士道精神」を誇りにしていて、自慢しますが、なぜか責任を取るという潔さだけは抜け落ちています。先日見た大河ドラマ「どうする家康」の中で、秀吉勢に敗れた明智光秀が、逃げ延びようとするシーンがありました。光秀は「わしは明智ではござらんぞ」と言って追手の手から逃れようとし、結局殺されてしまいます。みっともないことこの上ない。そういえばあのBIGMOTORと損保ジャパンの事件。それぞれの経営責任者たちは、この明智光秀の最期を真似ないでもらいたい。