今回の内容は私の個人的なメモです。内容は必ずしも正確ではないかもしれませんので、お読みいただく場合はご容赦ください。
ニュースによれば、日銀はこれまで継続して来た「長期金利をほぼ0%水準に維持する」すなわちYCC(イールドカーブコントロール)を緩和し、長期金利が1%まで上昇するのを容認しました。」とのこと。これを聞いても、それがどういう意味があるのか分からない人も多いと思います。これを理解するには、日本経済がたどってきた道を振り返りながら、考えてみる必要があります。
私が大学を卒業して銀行に入行した1980年から話を始めます。
当時は「第二次オイルショック」による石油価格の高騰が世界経済に大きな影響を与えていました。アメリカでは石油価格の高騰による物価上昇が著しくなり、労働者の実質賃金が下がった為、労働者は大幅な賃上げを要求しました。経営者は人手不足を警戒しこの要求を受け入れたことで賃金は大幅に上昇。これによりアメリカは急速にインフレが進行しました。
アメリカFRBはインフレ抑制策として金利を大幅に引き上げました。
1980年12月には年22%という歴史的な高金利水準に達したのです。しかしこれにより金利の高いドルを買う動きが強まり、アメリカは猛烈なドル高に見舞われます。ちなみに当時の円ドルレートは1ドル225円でした。
ドル高はアメリカの産業にとっては輸出力の低下をもたらすため、なんとかしてドル高を是正しないと、ますます貿易赤字が拡大してしまいます。
そこで窮地に追い込まれた当時のレーガン大統領は、ドル高を是正するために、人為的にドル安に調整することを先進各国に諮り、合意を取り付けたのです。これが「プラザ合意」(1985年)です。これは世界が初めて為替レートを市場ではなく政治的な意図を持って人為的に操作した画期的な出来事でした。これによって円ドルレートは1987年には1ドル140円にまでドル安・円高が進みました。
これにより今度は日本経済が円高不況に見舞われる危険性が出てきました。そこで当時の日銀は「円高不況」に備えて公定歩合を2.5%に下げたのです(1986年)。当時この水準は世界的にも類を見ない低水準でした。これにより円高不況に苦しむ企業を支援するために、支払い金利負担を軽減するのが目的でした。
ところがその後、実際には円高不況は深刻化しませんでした。それは当時の日本企業の実力が高く、企業努力によって乗り切ったからと言われています。しかし日銀は金利を歴史的に低い水準のままにして元の水準には戻さなかったため、この状態が1989年まで続きました。その結果、安い金利での資金調達が可能となり、その借りたお金で株式投資や不動産投資が盛んに行われるようになり、いわゆる「財テクブーム」が到来したのです。その流れは個人にも波及し、学生や主婦層までもが株式投資や不動産投資にのめり込み、日経平均株価や不動産価格は青天井で上昇しました。これが「バブル経済」の始まりです。
投資することは何も問題ないのですが、借金で投資をする場合は要注意です。投資は必ずもうかると言う保証がありません。借金で投資をすると投資に失敗した場合に借金を返せなくなるリスクがあるからです。
日銀はバブル経済の異常な状態を終わらせるために、1989年から1990年の短期間で公定歩合を2.5%から6%にまで一気に引き上げました。金融引き締めです。その結果、金利が高くなってしまい今までのように安い金利では借りられなくなりました。市場は大混乱に陥りました。日経平均株価は39000円台から22000円台まで急降下。不動産価格もピーク時の価格の10分の1にまで大暴落したのです。多くの投資家が資金繰りに行き詰まり、経営破綻や破産に追い込まれました。こうしてバブル経済は崩壊し、多くの不良債権などの負の遺産が残りました。
その後、政府と日銀は景気回復の為にあらゆる手段を講じました。
まずは減税。しかし減税はアメリカのように一度に大規模に実行しないと効果はないのです。当時の日本政府はまだ事態をそれほど深刻にとらえておらず、「この程度でいいだろう」という安易な楽観論から、ちびりちびりと小出しにやったため、国民はお小遣いをもらったようなもので、本格的な消費テコ入れにはなりませんでした。
次にゼロ金利政策。これは現在まで続いていますが、もう35年以上続けて来ても、一向に景気は回復していません。バブル経済の崩壊で地獄を見た日本の企業は、いくら金利が低くても借入金で投資をすることに極めて慎重になり、容易には手を出さなくなったからです。結局、日本は消費が極端に冷え込んでしまい、物やサービスが売れなくなり企業はやむなく価格を引き下げました。「爆安」「激安」という触れ込みが横行し、日本経済は深刻なデフレ経済に突入していていきました。
国民は長引く不況に対して何にもできない自民党政権に見切りをつけて、2009年の衆議院選挙で民主党政権を選択しました。民主党政権は行財政改革に手を付け、「2位じゃダメなんですか?」とか「脱ダム宣言」などの派手なパフォーマンスで話題になりました。しかしリーマンショックの影響などもあり、景気回復は果たせず、さらに東日本大震災もあり短命に終わりました。
2012年に返り咲きで誕生した第二次安倍内閣は、デフレ払拭と景気回復を目指す政策をかかげ、自らの名前を取って「アベノミクス」と言う名の経済政策を打ち上げました。
その柱となったのがゼロ金利政策と法人税減税でした。どちらも企業の負担を軽減して、企業活動をより活性化させることで景気を回復させ、雇用の改善と賃金の引き上げを図るという狙いがありました。
ところが実際には企業は雇用の改善どころか非正規雇用の割合を高め、より一層人件費の圧縮に努めたため、賃金は上がらず、消費も回復しませんでした。
銀行は不景気で本来の貸付業務が伸びないため、ほぼ0%の金利で集めた預金の大半を国債を買って運用するという信じられない事態に陥っていきます。
2013年、日銀の黒田総裁はアベノミクスを支援するかのように、「異次元の金融緩和策」を掲げて金融緩和政策を強力に推し進めました。何が何でも長期金利はほぼ0%を維持するという固い決意のもと日銀が取った方法がYCC(イールドカーブコントロール)です。
YCCは長期金利をほぼ0%に据え置くために、日銀が市場に介入して金利を操作するというものです。
日本の長期金利は期間10年の国債の市場金利(価格)で決まります。日銀は期間10年の国債のみ市場金利0%に維持するため、市場に売りに出された10年国債をことごとく買い取り、価格が下がる(金利が上がる)のを防いできました。イールドカーブというのは通常は期間が長いほど金利が高くなるような曲線になりますが、YCCの影響で10年のところだけがほぼ0%にくびれているいびつなイールドカーブになっています。これはもう金融市場の体をなしていません。
またこんなことを長年続けてきた結果、日銀には莫大な国債が積みあがってしまいました。既に国債発行総額の半分以上に相当する約500兆円もの国債を日銀は抱え込んでいます。
ところで期間10年の国債は金融市場では指標銘柄として長期金利を決める基準になっています。企業が社債を発行する場合も、期間10年であればこの市場金利を基準に利率を設定します。しかしほぼ0%では誰も買ってくれません。ですから社債の起債も思うようにできない環境になっています。
もちろん国債も同様です。利率がほぼ0%の国債など誰も買いたがりません。それは利率が低いからだけではなく、もし金利が上昇したら、市場での国債価格が値下がりし損失をかかえてしまうリスクが大きいからです。
そこで政府は銀行に引き受けさせました。銀行にとっては迷惑ですが、実は裏の取引があります。それは日銀がプレミアムを付けて買い取るという仕組みとセットだったからです。政府が発行する国債を日銀が直接引き受けることは財政ルールでは御法度です。しかし銀行が一旦引き受けた国債を公社債市場で売却し日銀が買い取るのであれば問題ないという理屈です。
この仕組みは政府にとってはまるで魔法の「打ち出の小槌」のようなもの。アベノミクスはこれをじゃんじゃん使いました。コロナが発生して莫大な対策費が必要になっても政府はこの方法で湯水のごとくお金を調達できたわけです。アベノミクス時代の安倍政権では余裕の財政だったようです。
私はこのことが、実は新たな問題を発生させてしまったのではないかと思います。そのことは最後の方で触れたいと思います。
このような状態は2013年から2022年まで続きました。しかし、ロシアのウクライナ侵攻という思いもよらぬ事態で状況は一変します。ただでさえコロナによる一時的な減産で世界的な物不足が深刻だったうえに、ロシアのウクライナ侵攻で、石油や穀物などの重要な資源が更に不足してしまいました。その結果、石油の高騰などあらゆるものの物価も高騰し世界的なインフレが深刻化したのです。もちろん日本も例外ではなく、否応なく物価は上がり続けています。典型的なコストプッシュインフレです。
特にアメリカは景気が良いため物価が上がった分の賃金の上昇も顕著になり、深刻なインフレに陥っています。そこでFRBはインフレ抑制策として一気に金利を引き上げました。欧州などの諸外国も金利引き上げに舵を取りました。
ところが日銀は金利引き上げを否定しています。その結果日本は世界でただ一つの金融緩和政策を継続している変な国になってしまいました。なぜか?
日本では過去30年以上もの間、賃金は据え置かれ、金利は0%でしたが、物価はデフレで上がらなかった、むしろ下がっていたから、不思議なことにそれでなんとか暮らすことが出来た。しかし、今回は海の向こうから物価高が押し寄せてきた。石油や小麦、とうもろこしなど生活必需品のほとんどを輸入に依存している日本にとっては防ぎようのない事態です。
もしここで日本がインフレ対策として金利を引き上げたら、まだ景気が回復していない日本では企業の体力も弱いので支払金利負担が増大して景気が一層悪化してしまう。しかし金利を引き上げないと諸外国、特にアメリカの金利が上がっているので日米金利差が更に拡大し円売り、ドル買いが進んでしまい円安が進む。円安は輸入品の価格を上げるのでさらに物価高の原因となって国民生活を脅かす。
円安は景気に良いなどと言っていたのは昔の話です。今では主要な日本企業は海外に生産拠点を移しているので、日本からの輸出額は減っているため、円安効果はそれほどない。
結局、今の日本は金利を上げることが出来ないのです。
前にも書きましたが、金利が上がると国債などの債券の市場価格は下落します。すると国債などの債券をたくさん持っている人は損失を被ります。今日本で一番国債を持っているのは日銀です。金利が上がると日銀は莫大な含み損失を抱え込んでしまうのです。
日銀のバランスシート(B/S)の資産の部はほとんどが買い取った国債で占められています。この金額が金利上昇で減少したら、債務超過に陥ります。円を発行している日銀が債務超過に陥れば通貨発行機関としての世界的な信用を失ってしまう危険性があります。つまり円の価値が暴落する危険性があると言うことです。
こんな事態に陥ってしまった原因は何か?
私は「アベノミクス」と、それを後押した日銀(黒田総裁)の「異次元の金融緩和政策」だと思います。植田新総裁はその尻ぬぐいをさせられています。記者会見での植田総裁の歯切れの悪い話し方にはそうした事情があるのです。このことは政府はもちろん何故かマスコミもほとんど取り上げません。
ところが今回ようやく日銀が重い腰を上げて、金利上昇を容認したのです。これは相当な覚悟があっての判断ですが、実は表現が微妙で、YCCは解除したとは言っていません。金融緩和政策を止めたとも言っていません。ただ長期金利が1%までなら上昇してもYCCで市場金利を操作することは無いだろうと言ったにすぎません。
玉虫色とは正にこのことです。日銀は恐る恐る市場の反応を試しているかのようです。
今後、金利がどんどん上昇して1%を超えそうになったら、恐らくYCCで抑え込むのでしょう。そうやって段階的に少しずつ元の状態に戻していく意図が垣間見えます。
しかし長い目で見れば、金利が上がることでかつて日本から海外に逃げて行ったマネーが再び日本に戻って来るでしょう。円買いが増えるから円高にはなりますが、世界からマネーが日本に流れてくると言うのは日本経済にとっては良いことです。このチャンスに日本企業が画期的な新製品や新技術を発表できれば日本は再び中国を抜いて世界第二位の地位に返り咲くことも可能だと思います。

以上