在来線で行く滋賀の旅 | 今、私が考えていること

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毎日の出来事を、新聞やネット上の記事からピックアップして、私なりの意見などを書き綴ります。

先日の大阪行きですが、新幹線で東京駅を発ったのですが、途中名古屋で下りて岐阜で一件用事を済ませて再び岐阜駅から大阪に向かいました。当日は五月晴れの爽やかな天気だったのと、一人旅の気ままさから、大阪までこのまま在来線を乗り継いでいくことにしました。

 

米原まで行けばそこから先はJR西日本の圏内で新快速も使えるので、何とかなると思ったのです。

 

まず岐阜から大垣に行きます。これは3駅なので13分くらいで着きます。

大垣から先も東海道本線ですが、区間が違うので乗り換えなくてはなりません。大垣と米原をピストン輸送している普通列車に乗ります。この区間は関ケ原の合戦で有名な関ヶ原があり、その先には高くそびえる伊吹山を仰ぐことが出来ます。初夏の伊吹山はすっきりとした景色ですが、これが冬だと極寒の冬山に変貌します。

 

白とオレンジの車体のJR東海の電車は、山あいの水田地帯を縫うように走り、心地よい揺れを感じながら旅情を味わうことが出来ます。これが首都圏を走る東海道本線とは全然違う趣です。

おすすめは、米原の手前の醒ヶ井。ここは澄んだ清流が流れていて、銘水で有名です。一見の価値ありです。

 

米原駅は北陸本線との分岐の駅です。新幹線の駅もあるので多くの人たちはここで乗り換えます。私はあえて新幹線は使わずにJR西日本の琵琶湖線の電車に乗り換えます。米原始発の快速「網干行」。快速とはいっても大阪の手前の高槻までは各駅停車です。20分後に来る新快速まで待とうかとも思ったのですが、大阪到着時刻が5分くらいしか変わらないので、気ままな旅の私は快速で行きます。

 

米原を出ると次は彦根ですが、途中に石田三成の居城だった佐和山城跡が見えます。

 

そしていよいよ彦根。彦根城は遠くからでもよく見えます。昔は彦根が滋賀県の県庁所在地だったこともあるそうですが、今は大津に移ってしまいました。それでも城下町としての歴史的なたたずまいが色濃く残っています。また彦根城は桜の名所ですね。

 

今回は行きませんでしたが、長浜もいいところです。駅前に豊臣秀吉の銅像が立っていて、長浜城主としてこの地を開いた功績をたたえています。また今度行きたい。

 

南彦根駅、河瀬駅、稲枝駅、そして能登川駅。能登川は古い町がそのまま残っていてとても風情があります。街中の道路わきを流れる細い用水に魚がたくさん泳いでいて、水がきれいなことに驚かされます。

 

次は安土駅です。言わずと知れた織田信長の居城 安土城があったところ。しかしお城の建物は明智光秀に攻め落とされてしまい、今は山の上に城跡しかありません。

 

安土駅の次は近江八幡駅。ここも歴史的な建物や町のたたずまいがそのまま残っています。ですから時代劇のロケ地としてよく使われます。メンソレータムで有名な近江兄弟社はここが発祥の地です。

またみんな大好きクラブハリエのバウムクーヘンは、もとはここの「たねや」という菓子屋から出来たもの。私は日牟礼神社の近くのたねやの本店で、おぜんざいを頂くのが大好きでした。夏場は冷やしぜんざいです。食事もうまい。

 

更に進みます。

篠原駅、その次が野洲駅。野洲は昔はIBMの巨大な工場がありました。IBMの城下町のようにして発展しましたが、現在はもうIBMは有りません。地理の好きな私にとっての野洲は、地理の教科書に出てくる扇状地の代表的な地形で有名でした。また、野洲と次の守山の間を流れている野洲川は、地元の人は「この川を境に気候が大きく変わる」と言います。京都、大津方面から来て野洲川を超えると、北陸地方の気候になるとのこと。つまり冬には雪が積もる豪雪地帯です。

 

私が昔、名神高速道路で大雪に阻まれて12時間近く立ち往生し、ついに車を諦めて徒歩で脱出した経験がありますが、それも野洲の先の八日市インターの過ぎたところでした。

 

更に進んで守山駅、栗東駅、草津駅に着きます。草津は東海道と中山道の分岐点で、宿場町として栄えた街です。今も街道筋の古い民家や商店の建物が残っています。私は草津が仕事のベースキャンプでした。いい街ですよ。「急がば回れ」という言葉はこの草津が発祥の地と聞いております。

草津の琵琶湖のほとりに行くと、比叡山の山が間近に見えるため、京都に向かう旅人は草津から船で対岸に直線的に渡れば近道だと思うのですが、実は比叡おろしの強い風に阻まれてなかなか対岸にたどり着けないため、そんなことするより、瀬田の唐橋をぐるっと回って陸路で行く方が早く着くという教えなのだそうです。

 

南草津駅、瀬田駅、石山駅と続きます。私は瀬田から石山にかけての町のたたずまいが好きです。実はここが淀川の源流。瀬田川として琵琶湖から流れ出て、宇治川を経て淀川になって大阪湾に流れています。瀬田川はボート競技の場所と地しても有名で。京都大学や立命館大学などの強豪校の練習場があります。

 

膳所駅、そしてようやく大津駅に着きます。大津駅で下りてみるとわかるのですが、駅前が寂しいのです。現在は駅そのものを新しく建て替え、それに合わせて近隣の商業施設もリニューアルしたのでとてもモダンな雰囲気になりましたがが、20年ほど前に私が初めて仕事で降り立ったころは、とても県庁所在地とは思えないところでした。その後滋賀で長く働いていて分かったのですが、大津の中心地は大津駅ではなく、そこから琵琶湖の湖畔に坂を下りたところにある浜大津が町の中心地なのです。大津はびわ湖の海運交通の港として発展したと言う経緯があります。

 

大津だけではないのですが、関西には町の中心地が駅からはなれて存在する町が結構多い。それはもともと町として栄えていたところに、後から鉄道を通したためと言われています。関東のように鉄道が敷かれて、駅が出来て、その駅を中心発展していった町とは違うのです。

大津までが今回の滋賀の旅は終わりです。(次の山科は京都府になります)

実は翌日、再び滋賀に行き近江八幡のたねやでランチして、米原から新幹線で帰りました。

長文になってしまいました。今回は私の旅の記録を書き記そうと思って書きました。読んで頂ければ幸いです。